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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

3185千葉9区:2009/08/08(土) 14:45:47
http://mainichi.jp/area/nagano/news/20090805ddlk20010055000c.html
’09夏・衆院選ながの:国政の課題・現場から/2 農林業 /長野
 ◇見合わぬ対価、細る担い手 生き残り競争、減反と矛盾も
 佐久市西部の浅科地区。7月下旬、浅間山をバックに青々とした水田が広がり、あぜ道で中年の男性が雑草を刈り込んでいた。「今は田植えを終えたら、収穫まで田に入らずに済む」。技術革新で、昔ほど手をかけずに多くの収穫ができる。秋までの作業は、あぜ道の草刈りくらいだ。

 佐久地方は地元産コシヒカリをブランド化した「五郎兵衛(ごろべえ)米」を生産する米どころ。江戸時代初期、市川五郎兵衛が新田を開発した。強粘土質が稲作に適し、粘り豊かな良米を生む。JAが89年に五郎兵衛米を商標登録した。

 その佐久はコメの生産調整(減反)が毎年大幅な未達成で、国の農政に反旗を翻している。国による08年のコメの生産目標は長野県分で3万3240ヘクタール。実際の作付け面積は581ヘクタール多く、その97%を佐久地方が占めた。

 国は70年代以降、コメ余りを契機に、生産量を抑えて米価の下落を防ぐ減反を打ち出した。浅科地区でも多くの人が転作を試みたが、コメ以外の作物が育ちにくい土壌に阻まれて挫折。「こだわりのコメで生き残ろう」が農家の合言葉になった。

 同市八幡でアイガモ農法に取り組む成沢一成さん(69)は、17年前から無農薬・有機米で差別化を図る。加盟する農家の会には全国で450世帯以上の固定客がついた。「普通にやったら先細り。自分で売り口を探し、売値を決める」

 販売価格は10キロ6600円と上々。それでも収入を時給に換算すると200〜250円だ。若者は農家を継がず、60〜70代以上がかろうじて支えている。「このままだと崩壊の道だ」。成沢さんは将来を悲観する。

 ◇ ◇ ◇
 飯山市北部の「なべくら高原」。ブナの原生林を切り開いた畑に特産のアスパラガスやニンジンが植わる。中村圭吾さん(28)は07年春、浜松市から移住し、大規模農家に勤めた。北信地域にスノーボードに来たのがきっかけ。夏は農業、冬はスキー場関連の仕事で生計を立てる。

 「大自然の中で季節の野菜を収穫しながら体を動かすのはいい」と笑うが、独立となると「やりたいが、資金もない。農業は必ずしもお金にならない」。

 県によると、05年の県内の販売農家は7万4719戸。全国4位だが、85年のほぼ6割に減った。全国屈指のアスパラ産地として知られる飯山市も高齢化などで離農が後を絶たず、後継者難に悩む。

 市農林課によると、長期不況もあって都市部からの就農相談が増えた。今年の相談は5件。3人を受け入れ先の農家に紹介し、4人目からは断った。「受け入れる体力がある農家がない」のだ。

 市は05年度に「農村定住支援住宅」をつくり、月2万円の家賃で就農者を受け入れているが、これまでに受け入れた5人程度のうち、3人は農業を断念するなどして市を去った。農家は担い手を育てる余力すら失いつつあり、志した人もなかなか根付かない。

 同課の桑原良満・振興係長は「農産物の価格が安すぎる」と指摘する。飯山もコメのブランド化を進めるが、生き残り競争は激しい。「安さがブランド」のコメも現れた。

 同課の試算では、新規就農に最低限必要な50アールの水田と、中古のトラクターなどを手に入れるのに約1000万円。収穫できるコメの売り上げは年約75万円に過ぎない。【竹内良和、藤澤正和】


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