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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2980千葉9区:2009/08/05(水) 22:04:53
http://www.nnn.co.jp/tokusyu/syuinkeifu/090805.html
09衆院選鳥取 系譜と構図

 自民と民主の2大政党が政権を懸け、激しい戦いを繰り広げる30日投開票の衆院選。鳥取1区、2区に立候補を予定している4人は、民主を含めいずれも保守に源流を持つ。それぞれの系譜をたどり、選挙の構図を探った。


2009/08/05の紙面より
【下】 1区 石破氏VS奥田氏

手の内知る間柄 離党が互いの転機に

「同じ釜の飯を食った」間柄の石破農相(右)と奧田氏。政権を懸けた攻防は激化する(コラージュ)
 「同門対決」「師弟対決」で注目の鳥取1区。自民前職の石破茂農相(52)と民主新人の奥田保明氏(49)の“運命の出会い”は、25年前にさかのぼる。

◇   ◇
 1983年、「次は君が出るんだ」と故・田中角栄元首相の肝いりで、自民党・木曜クラブ(旧田中派)で“見習い”を始めた石破農相。当時の様子を自身のブログでこう回顧している。

 「全国の選挙情勢を分析し、応援弁士の手配、全国各地に泊まり込んで田中先生の名刺を配るなど、選挙、政治、派閥のイロハを学ぶことができた」

 一方、しばらくして奥田氏は故・梶山静六元法相の選挙で遊説隊長を務めたのを縁に木曜クラブの門をたたき、2人は事務所で机を並べる日々が続いた。

 石破農相の仕事は選挙対策で、国会議員の2世などが顔をそろえる「エリート養成」部門ともいわれた。奥田氏は、田中派議員と官僚、財界でつくる「新総合政策研究会」の事務担当。鳥取県知事、参院議員を務めた父を持つ石破農相に対し、「地盤・看板・かばん」のない奥田氏は「役所、経済界とのつながりを大きくつくるきっかけになった」と当時を振り返る。

◇   ◇
 転機は86年7月の衆院選。石破農相と奥田氏は帰郷し、相沢英之氏、平林鴻三氏としのぎを削り、石破農相は当時全国最年少の29歳で初当選し、奥田氏は公設秘書に。以後、「代議士」「奥田君」と呼び合う関係は8年間続き、石破後援会の元役員(66)は「同郷とあっていい関係だった」と振り返る。

 2人が木曜クラブにいた当時の事務局長が、現在の小沢一郎民主党代表代行。石破農相は政治改革をめぐり93年に自民党を離党。新生党、新進党と小沢代表代行と一時期行動を共にしたが、「国家観の違い」を理由に袂(たもと)を分かち、97年に自民党に復党した。

 奥田氏は県議を辞して挑んだ2002年の鳥取市長選に落選後、自民党に復党しなかった理由をこう語る。「小泉構造改革に疑問、不満があった」。奥田氏の衆院選出馬を口説いたのが小沢代表代行だった。

 奥田氏は「あの当時の自民党離党者は二大政党が政権交代で切磋琢磨(せっさたくま)する政治を目指していた。代議士(石破農相)も同じ思いだった」と語り、石破農相の自民党離党劇と自身の民主党入りを重ね合わせる。

◇   ◇
 民主党側の狙いは、石破支援者に人脈を持つ奥田氏が反石破、反自民の受け皿になること。「手の内を知る相手」との戦いで師弟対決と呼ばれることに石破農相は「師弟と思ったことは一度もない」と平静を装うが、奥田氏は秘書、県議時代の“つて”で建設業など石破票を一部切り崩し。石破選対関係者は「(石破農相は)相当意識しているはず」と話す。

 「小泉改革のしわ寄せは私にも責任がある。本来の謙虚な自民党に立て直す」と党改革を叫ぶ石破農相。「自民党の政治システムは時代に合わなくなった」と政権交代を訴える奥田氏。「政界エリート」と「雑草魂」の戦いは佳境に入る。


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