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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2979千葉9区:2009/08/05(水) 22:04:16
http://www.nnn.co.jp/tokusyu/syuinkeifu/090804.html
09衆院選鳥取 系譜と構図

 自民と民主の2大政党が政権を懸け、激しい戦いを繰り広げる30日投開票の衆院選。鳥取1区、2区に立候補を予定している4人は、民主を含めいずれも保守に源流を持つ。それぞれの系譜をたどり、選挙の構図を探った。


2009/08/04の紙面より
【上】 2区 赤沢氏VS湯原氏

共に相沢氏と縁 青年中央会で接点も

共に相沢氏とつながりを持つ赤沢氏(左)と湯原氏
 衆院が解散された7月21日。本会議終了後、自民前職の赤沢亮正氏(48)は、東京都港区の事務所に足を運んだ。事務所の主は鳥取2区選出の元衆院議員、相沢英之氏(90)。「非常に厳しい選挙。ぜひ応援していただきたい」と要請する赤沢氏に、相沢氏は「自民党だからできることはやる」と応えた。

 相沢氏は、赤沢氏の祖父で県選出衆院議員だった故赤沢正道・元自治相の後継。赤沢氏に祖父・正道氏の地盤から政界進出を促す動きはあったが、赤沢氏本人は「祖父の跡継ぎがいる以上、自分が出ようという発想はなかった」と言う。

 しかし2003年の衆院選で、相沢氏が元秘書の川上義博氏(現民主参院議員)に敗れ、政界を引退。さらに05年の衆院選で、郵政民営化法案に造反した川上氏が自民の公認を得られなかった。赤沢氏は出馬を決断し、自民県連の公募に応じた。


◇   ◇

 民主新人の湯原俊二氏(46)は大学卒業後、相沢氏の事務所の門をたたいた。相沢氏秘書の時代、自民政治の構造を目の当たりにしてきた湯原氏。「自民党の利益誘導の体質についていけなかった」として約2年で辞め、帰郷して実家で農業に従事した。28歳で米子市議選に初当選。相沢氏からは「時間がある限り、とにかく歩け」とアドバイスを受けた。

 1995年に県議に転身。「相沢事務所にいた人間としてはイレギュラーなのかもしれないが」(湯原氏)、自民系会派入りを打診されながらも、常に距離を置いてきた。

 その後、「未来からの風でありたい」との政治理念に共鳴し、民主党の結党に準備段階から参加。衆院選の公認争いに敗れるなど曲折を経ながらも、満を持して2区からの出馬に名乗りを上げた。


◇   ◇

 赤沢氏と湯原氏に接点ができたのは約10年前。赤沢氏に政界進出を打診したのは県西部中小企業青年中央会OBの経済人らで、赤沢氏は中央会で講演したり、懇親会に出席したりするようになった。湯原氏は中央会の会員で、2人に親交が生まれた。

 今回の衆院選。中央会の現役会員やOBには、赤沢氏と湯原氏のそれぞれの支持者が混在している。7月に米子市で開かれた中央会の総会では、来賓の赤沢氏とOB会員の湯原氏が同席。それぞれがビールをついで回り、言葉を交わす場面もあった。あるOB会員は「『また裂き』状態の人もいるのではないか」と話す。

 「選挙で挑んでこなければ仲のいい間柄」(赤沢氏)、「赤沢対湯原ではなく、政治を変えたいという思い」(湯原氏)。青年中央会つながりで接点を持ちながら自民、民主に分かれて国政に向かう2人。その戦いは、日に日にヒートアップしている。


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