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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2967とはずがたり:2009/08/05(水) 15:13:08
もともと中山は県南地盤だったのか。。
> 上杉は参院議員を3期務め、自治相など政府要職も歴任。最大派閥だった橋本派(現津島派)に属し、県政界で絶大な発言力を誇った。初めて小選挙区比例代表並立制で行われた1996年の衆院選では、中山の選対本部長にもなった。
> 中山はそれまで地盤としてこなかった宮崎市を主舞台とする宮崎1区で戦うことに。中山にとって県南部を選挙区とする旧宮崎2区からの転戦。しかも旧民社党委員長も務めた米沢隆などが相手の激戦で、「上杉が農林業界を動かし、勝たせてやった」(上杉支持者)という。
> その後、中山は宮崎1区で連続4回の当選を重ね、森喜朗元首相を後ろ盾に国政中枢で頭角を現す。事務総長を務める町村派も最大派閥に成長。上杉との力関係が入れ替わったといわれる。それが衆院選で上杉が当選すれば、再び力関係が逆転する。それを中山は恐れたというのだ。


【宮崎 選択の断面】<上>分裂 自民、1区で共倒れも
2009年08月04日 14:38
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/miyazaki/20090804/20090804_0002.shtml

 中山成彬(66)=前職=は目を疑ったという。

 7月21日、東京・自民党本部−。中山は同党の選挙対策委員として選対小委員会に臨んだ。しかし、示された第1次公認候補者リストで宮崎1区は、空欄だった。

 「どういうことだ」。中山は、選対副委員長の菅義偉を問い詰めた。だが、返ってきた言葉は素っ気なかった。「県連と(第1選挙区)支部の意見が異なるので調整を要する」。結局、県連が推す上杉光弘(67)=新人=との公認調整はつかず、10日後の31日、党本部は宮崎1区で公認候補を立てないことを決めた。

 翌1日、中山は宮崎市で明言した。「無所属でも出る」

   ■   ■

 「県連の公認をもらえたのは力強く、ありがたい」。上杉は自民県連が3日の役員会で自身を“県連公認候補”と位置付け、戦うことを決めた後に会見して、立候補する意思に変わりがないことを強調した。

 これで分裂選挙は確定的となったが、上杉は「票の一部が割れるだけ。敵ではない」と、中山が眼中にないように装った。しかし、額面通りに受け取る県政関係者はいない。

 対立の発端は、昨年秋に中山が国土交通相就任直後の失言問題の責任をとって、衆院選への不出馬を表明したことにある。県連は、中山の後継候補として上杉の擁立を決めた。それを中山が衆院選近くになってひっくり返そうとしたことから、事態はこじれた。

 なぜ中山は翻意したのか。意中の後継候補だった東国原英夫知事の擁立が難しくなったから。不出馬撤回を求める約5万人の署名が寄せられたから…。だが、それ以上に中山が上杉との力関係の変化を恐れたからとの見方が強い。


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