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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2957とはずがたり:2009/08/05(水) 11:25:10
【’09衆院選 見えぬ争点】あの選挙区のいま(3)広島6区 消えた強敵
2009.8.5 08:27
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090805/elc0908050828002-n1.htm

嵐去りて“主なき戦い”

 郵政民営化に反対し、自民党を離党した国民新党の亀井静香(72)と“刺客”として無所属で立候補した当時ライブドアを率いていた“ホリエモン”こと堀江貴文(36)。2人の対決で広島6区は全国屈指の注目区と化した。堀江の行くところに行列が群がり、フラッシュがたかれカメラが追う。尾道駅前に設置された事務所には連日多くの人が詰めかけ、ホテルや喫茶店などは大盛況となった。「改革」と白い文字で記された黒いTシャツを着た堀江は「尾道を日本のハリウッドに」「宇宙開発事業の拠点をつくりたい」。言動も選挙戦も派手だった。

 「改革を否定したわけではないのに、小泉さんの郵政民営化に賛成するかしないかだけの論理にすり替えられた。バラエティー番組などでも単純化されすぎて論じられた」

 亀井事務所の地元秘書は当時をこう苦々しく振り返る。ターゲットにされた亀井はもともと強固な後援会組織に支えられていたが、落下傘候補の参戦で一転“どぶ板”に専念。地元に張り付き、声をからして支持者ら一人一人に頭を下げた。

 選挙結果は亀井が底力を見せ踏ん張った。堀江は敗退。広島6区の喧噪(けんそう)は急速にしぼんでいった。堀江は平成18年、証券取引法違反の疑いで逮捕され、公の場から姿を消した。

 選挙戦を間近で見てきた尾道市の商店街で働く主婦、岡田潤子(57)は、当時の市内の熱狂ぶりを「有名なホリエモンが出馬すると聞き“出身地でもないのになぜ?”と正直違和感を覚えていた。何しろお祭り騒ぎが続いたからねえ」。こう振り返りながら「演説に集まる人は、正直、一目見たさというだけの雰囲気だった。今考えると、あの騒ぎは一体何だったのか」。口調はいたって冷淡だ。

 亀井事務所の幹部の一人は「堀江さんは“お金で買えないものはない”と言っていました。当時の社会全体の風潮で、これが世の中に何をもたらしたか。歪(ひず)みですよ。このことは今も変わらない。今こそ私たちは立ち止まって冷静に考えるべきだ」。4年前の清算を強調し、亀井の正しさをさりげなく強調する。

 ホリエモンの参戦で最も票を減らしたのは当時の民主党候補、佐藤公治(50)だった。

 「堀江さんは台風みたいだった。地方だし、せいぜい3万票程度と高をくくっていた。が、本来民主が集めるべき票を、小泉流のやり方でさらわれた。これが実感です」。佐藤後援会の幹部の一人はこう述懐する。亀井はその佐藤と2年前の参院選で手を結ぶ。

 佐藤は亀井の支持を受け当選した。今回は民主党は党を挙げて亀井全面支持にまわる。街頭には佐藤と亀井のツーショットポスターが張られる。「変われば変わるものだね」。街中ではこんな声も聞かれる。

 事実上の“無風区”と化した6区には自民党が4月末、世羅町選出の県議、小島敏文(58)を擁立。自民党への逆風を小島は「地元の理解も得てニュー自民党を訴え、再び信頼を集めたい」。ほかにも共産党は花岡多美世(52)を、幸福実現党は胡本協子(58)を立候補させる予定だ。しかし、強敵が消えたことで亀井の鬼気迫る“どぶ板”も姿を消した。選挙区には戻らず、国民新党の他候補者や中国ブロックでの遊説に明け暮れる。

 7月24日、尾道市内で開かれた事務所開き。主なき戦いを妻、奎子(65)が中心にあずかる。「前回は亀井が張り付きましたが、今回また私どもで頑張ります」

 いつものやり方が戻り、争点なき“信任投票”の結果を待つ。その雰囲気には和やかさすら漂う。=敬称略(豊田大祐)


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