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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2936とはずがたり:2009/08/04(火) 23:49:15
>>2934-2936

<京都の選択 2009衆院選 決戦へ5>消えないしこり
4区 激闘再び
http://74.125.153.132/search?q=cache:j3weyrF2b4oJ:www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20090725-OYT8T01105.htm

衆院解散後初めての週末、市民らにあいさつをする立候補予定者(京都市内で)

 156票。2005年9月の衆院選で京都4区で初当選した自民党の中川泰宏(57)と、無所属元議員の田中英夫(65)の票差だ。中川と、民主党前議員の北神圭朗(42)の票差もわずかに1642票。大接戦を展開した3人が今回の衆院選でまた、4区での立候補を表明している。

 4年前と違うのは〈風〉の向きだ。中川を押し上げた「小泉旋風」は消え去り、民主党への追い風が吹く。郵政民営化に反対して自民党を離党する前は同党の衆院議員だった田中と、「刺客」の中川を巡って、同党関係者の間では「民主党に議席を奪われないためには小選挙区の立候補は1人に調整するべきだ」との声もあった。府連では決められず、党本部に判断を預けた。

 衆院が解散された21日。中川は党本部で公認証を受け取った。田中は京都市内のホテルで、4区で圧倒的な強さを誇った元自民党幹事長・野中広務から激励を受けた。「保守一本化」は実現しなかった。

    □   ■   

 解散後、初めての週末の25日、中川は南丹市の集会で、出席者に「必ず皆さんの生活が豊かになる政策を実行する」と語りかけた。

 八木町議、八木町長を経て、02年の府知事選に立候補。JA京都中央会長でもある。4年間、「要望を実行に移すのは私にしかできない」と、現職の与党議員として、農家や建設業関係者らの間で支持を広げた。小泉元首相を「親分」と呼び、今も一緒に写ったポスターを掲げる。

 田中は25日、右京区の小学校で開かれた夏祭り会場で、浴衣姿の市民らと握手を交わした。

 亀岡市助役、府議、同市長を経て03年、小泉元首相を批判して引退した野中の後を継いで自民党から立候補。中川に敗れた後は早朝の駅前で「信念を貫く」と書いたのぼりを立て「地方の声を国政に反映できるのは私だけ」と呼びかける。野中を支えた地方議員や郵政、福祉などの団体から支援を受け、公明党支持者の取り込みも図る。

 一方、保守票の奪い合いをする2人が「最大の敵」とみる北神は、前回比例復活で初当選したあと、主に京都市内で後援会などを計約40団体結成。民主党支持者が少なかった亀岡市以北でも、繰り返し自転車で回るなどしている。

 25日は南丹市の国道沿いで「老後の安心を実感してもらえるよう、介護の充実を図りたい」と演説した。北神は「風任せではなく、支えてくれる人たちは自分で見つけたい」と話す。

    ■   □   

 00年、野中は最後の選挙で、次点の共産の2倍以上、民主の3倍以上の票を獲得した。4区は“野中王国”と呼ばれた。自民党府議は「王国をかき回した小泉さんを野中さんは許せない。それぞれの支持者たちは地域で激しく対立したため、小泉さんが引退しても、しこりは消えない。これを最後の戦いとして決着をつけるしかない」と自らに言い聞かせるように語る。

 4区では共産党新人の吉田幸一(35)、幸福実現党新人の出野博志(60)も立候補を予定する。激闘から目が離せそうにない。

(敬称略、「決戦へ」はおわり。選挙取材班が担当しました)
(2009年7月26日 読売新聞)


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