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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

2250千葉9区:2009/07/26(日) 00:05:32
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000180907180001
旧中曽根派、民主支援も
2009年07月18日

 Q…県内の自民党内部にも分裂があるそうだね。どういうきっかけ?


 A…自民党が強いところで保守が分裂するという現象はほかでもみられる。今は小選挙区で当選できるのは1人だけだが、1947年から93年の総選挙までは、定数が2〜6人の中選挙区制だった。同じ選挙区に自民党から複数の候補が出て、自民同士で激しい選挙戦が展開された。


 ただ、群馬の場合は国政での派閥争いが持ち込まれたという特徴がある。具体的には、自ら派閥を率いた福田赳夫、中曽根康弘の2人が強い求心力を持ち、県や市町村の首長、議員を巻き込んで政治地図をほぼ二分してきた。福田は76年、中曽根は82年に首相になっている。


 両者の対立が決定的になったのは、72年の党総裁選からだとされる。福田、田中角栄、大平正芳、三木武夫の4人が出馬したが、中曽根派が田中支持に回り、福田が落選したのだ。


 2人とも現在の4、5区にあたる旧3区(定数4)が地盤で、選挙戦は「福中対決」「上州戦争」と呼ばれるほど激しかった。総裁選の頃からそれが全県に拡大し、県議会も福田系の「政策同志会」と中曽根系の「県政塾」に分裂。参院選や地方選でも福中の対立構図がみられた。


 Q…分裂の構図は、今も変わっていないの?


 A…構図は残っているが、様相は様変わりした。中曽根派の勢いが弱まっている。03年の県議選で中曽根派の有力県議が落選し、「県政塾」の会長だった県議が選挙違反事件に関連して辞職するなどしている。県議会の派閥は06年、中曽根派が福田派に吸収される形で約30年ぶりに一本化された。現在、福田派は自民党の主流派と言っていい。


 福田、中曽根の両後援会も、赳夫の息子福田康夫前首相が衆院、康弘の息子中曽根弘文外相が参院とすみ分けたため、互いの選挙で協力する立場に変わった。


 だが、福中の対立がなくなったわけではない。典型例は07年の知事選だ。5選を目指す小寺弘之に対し、自民党は県議会議長を務めた大沢正明を擁立。知事選では同党として異例の公認に踏み切り、小寺を破った。


 もともと中曽根派に担がれた小寺は福田派と距離があったが、溝が深まったのは4選を目指す前から。小寺は福田派の重鎮松沢睦県議(当時)と笹川尭・党県連会長から、推薦に、高山昇副知事(同)の続投などの条件を突きつけられ、突っぱねた。結局推薦は得られて4選したが、出納長だった後藤新(現県議)を副知事にする人事案が福田派の反対で県議会で否決され、小寺と福田派との対立は決定的になった。


 08年の前橋市長選では、旧中曽根派の現職高木政夫が、福田派が支援する金子泰造を破って再選した。金子は、旧中曽根派に属しながら福中一本化の立役者となり、党県連幹事長になった人物。同市長選は「知事選の揺り戻し」と言われた。


 Q…福中の対立は今回の衆院選にどう影響する?


 A…旧中曽根派のなかには、民主党支持に流れる動きが見える。だがどこまで本気で民主を支援するのかははっきりしない。


 対立が最も影響しそうなのは前橋市などの1区だ。旧中曽根派や小寺、高木寄りの地方議員も多い。1月の県議補選(前橋市・勢多郡区)では、自民の山本龍と、無所属の後藤新が当選した。後藤には自民党支持層の票も相当入ったとみられ、こうした人たちが衆院選で民主の宮崎岳志を支持するのかどうかが注目点だ。


 2区は旧長谷川派の動きが気になる。故・長谷川四郎は67年から19年にわたり自民党県連会長を務め、福田、中曽根両派の「接着剤」と言われた。


 その長谷川が最後に挑んだ83年の総選挙に、田中―中曽根ラインが笹川を立てた。結果は長谷川が勝ち、笹川自身は田中派の系譜をたどり、福中両派から距離を置く。だが、長谷川派には笹川への遺恨が残っていて、前回衆院選でも笹川に対抗する民主の石関貴史に票が流れたといわれている。


 一方、福田康夫が立つ4区では、旧中曽根派が、民主支持で動く気配はない。5区では民主が候補者を立てず、中選挙区の旧3区時代は福田・中曽根の間で長く下位当選に甘んじてきた小渕恵三元首相の次女優子が安定した基盤を築いている。(敬称略)


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