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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
1947
:
千葉9区
:2009/07/22(水) 21:44:00
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200907210107.html
「選挙の顔」2度の好機逃し 首相がけっぷち
2009年7月21日18時46分
首相就任直前、月刊誌への寄稿の中で、「国民の審判を仰ぐのが最初の使命だ」と言い切った麻生首相が、10カ月を経て、ようやく「初志」の衆院解散にこぎつけた。
05年9月、小泉首相(当時)が自民党を圧勝に導いた郵政選挙のあと、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎3氏が総選挙を経ずに首相の座に就いた。衆院議員の任期満了まで1年を切った時期に引き継いだ麻生首相に、党内は「選挙の顔」の役割を期待した。
ところが、政策や発言のブレなどで内閣支持率は低下。党内には「麻生首相では総選挙は戦えない」という気分が蔓延(まんえん)している。それでも首相が「私が解散する」と言い続けたのは、ここでまた「顔」を代えれば自民党への信頼は地に落ちる、そんな思いからだろう。
「政局より政策」と訴え、景気対策を理由に解散を先送りしつつ信を問う好機をうかがった。だが、時機を失した感は否めない。
これまで首相が解散に踏み切るチャンスは、少なくとも2回あった。
最初は就任直後、昨秋の臨時国会冒頭だ。政権発足当初の支持率は40%を超えた。首相自身も「国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢(民主党)代表にぶつけたうえで、国民に信を問おう」と論文で訴えた。しかし、世界的な金融危機で首相は思いとどまった。
2度目は09年度予算成立後の「春解散」だ。3月、小沢氏の公設秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕され、首相の支持は回復した。だが、首相は5月の09年度補正予算成立まで解散を封印した。
2度とも与党の勝利は微妙と見られたものの、首相が主導できる解散時期は他にはほぼなかった。それを見送った首相に残された選択肢は、8月のお盆をはさんで前か後かの総選挙、という「誤差」の範囲に狭まっていた。
「支持率は良くなる」。首相に近い自民党幹部は5月の連休後、こんな見通しを示した。首相自身、7月の静岡県知事選や東京都議選に勝ち、その勢いで総選挙を戦うシナリオを描いていた。その読みは楽観的すぎた。中川財務相や鳩山総務相の辞任に象徴されるように、政策以前に首相の統治能力と資質が問われ、地方選挙でも連敗が続いた。
1954年12月、首相の祖父の吉田茂元首相は造船疑獄などの逆境を解散で打開しようとしたが、側近や党内の反対に遭い断念。後継首相に選出されたのは鳩山民主党代表の祖父、一郎氏だった。
それから55年。首相は鳩山民主党との政治決戦に臨む。「選挙の顔」の期待は消え、がけっぷちに追い込まれての選挙戦が首相を待ち受ける。(津川章久)
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