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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

1178千葉9区:2009/07/04(土) 10:51:10
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090704ddm002010098000c.html
読む政治:閣僚・党役員、人事不発(その2止) 根回し不足、構想幻に
 <1面からつづく>

 ◇東国原氏起用案、混乱に拍車
 麻生太郎首相の人事構想に火がついたのは6月24日夜だった。午後10時前、安倍晋三元首相を乗せた車が首相公邸に入った。

 「支持率上昇のためには内閣の全面改造しかない。そのうえで国民に信を問うべきじゃないですか」

 安倍氏の進言で、首相は自民党町村派の理解が得られそうだとの感触を得た。

 首相の念頭にあったのは森喜朗元首相が同22日に神戸市で行った講演だ。「麻生さんと縁のない人が幹事長をやったり、官房長官をやったりしている。だからとんでもないことがいっぱい起きる」。森氏は河村建夫官房長官と細田博之幹事長、保利耕輔政調会長の名前を挙げたうえで「戦う党というイメージがやや欠けている」と指摘し、内閣改造・党役員人事に理解を示す姿勢をにおわせた。

 麻生・安倍会談後の深夜に帰宅した政府高官は「明日の首相の記者会見は注意した方がいい」と記者に漏らした。首相から何らかのサインが出ていた。

 翌25日。首相は日本記者クラブで自ら衆院解散の時期を「そう遠くない日」と切り出し、党人事についても「いろいろな方がいろいろなことをおっしゃる。丁寧に拝聴させていただいている」と語った。大幅人事と東京都議選前後の解散に意欲、との観測が一気に政界を駆け巡った。首相周辺による人事情報のリークもこの日を境に始まった。

 だが、内閣の要である河村官房長官や浅野勝人官房副長官は「蚊帳の外」。河村氏は「エネルギー不足の今の政権に党人事はできない。混乱で倒れかねない」と直感した。勝負の人事構想は、足元で致命的な「根回し不足」を伴っていた。

 首相官邸内では、安倍氏と菅義偉自民党選対副委員長だけがタイミングよく過密日程の首相と電話連絡できていることについて疑心暗鬼すら生まれた。

     ■

 東国原英夫・宮崎県知事(51)の入閣構想が事態をより複雑にした。

 6月23日に宮崎入りして東国原氏に衆院選への出馬を要請したのは自民党の古賀誠選対委員長だ。ただ、これに先立つ14日には自民党町村派の伊達忠一参院議員(北海道選挙区)が会談の段取りをつけていた。

 伊達氏の秘書が東国原氏と親交があった。伊達氏は古賀・東国原会談が整ったことを、派閥の最高実力者である森元首相に報告。森氏は「自分の立場で要請はできないから古賀氏に任せる」と了承していた。

 「私を総裁候補にすることが出馬条件」との知事発言が物議を醸したが、伊達氏は水面下の折衝段階ですでに「地方分権担当相のような形で入閣させる」との条件を示していた。麻生首相が人事に着手する構えを見せていたことから、伊達氏らはこの機に東国原氏を入閣させ、静岡県知事選や東京都議選の応援に加える筋書きを描いていた。

 入閣構想は6月29日を10デーにして調整が進められた。東国原氏が同夜極秘に上京し、都心のホテルで古賀氏と再会談する計画だった。ところが、党役員人事をめぐる首相と党内のあつれきが強まり、東国原氏を目玉人事にする基盤そのものが崩れ出していた。再会談は実現しなかった。

 交渉経過について逐一報告を受けていた森氏は、翌30日に東国原氏の秘書の訪問を受けた。古賀氏も7月1日に同じ秘書と会った。善後策の協議だったとみられる。秘書は「衆院選の結果次第で東国原は使い捨てになるんじゃないか」との懸念を伝えたという。

 麻生人事は結局、2閣僚の補充にとどまった。「自民党の一部には『入れたらいいのに』という思いがあったようだが、首相は本気ではなかった。(東国原氏が)どうしてもと頭を下げてくれば、人気があるからと思ったが」。政府高官は1日夜、幻の入閣構想をそう振り返った。


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