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【お茶の掛川】 お 茶 ス レ 【深蒸し茶】
58
:
とはずがたり
:2009/11/13(金) 17:50:53
こんな事があったんですねぇ。
種子島茶業の礎、本県入植者に光 22日に記念式典
11/13 14:55
http://www.shizushin.com/news/social/shizuoka/20091113000000000057.htm
日本一早い走り新茶の産地として知られる鹿児島県の種子島で、茶産業の礎を築いた本県からの入植者たちの功績が脚光を浴びている。今年が最初の入植からちょうど100年の節目に当たるためで、22日には現地で記念式典も開かれる。今も菊川市周辺に残る親族など関係者たちからは「遺徳をたたえてもらえることはありがたい」と喜びの声が上がっている。
小笠風土記などによると、入植を奨励したのは明治政府の役人として熊毛郡(種子島・屋久島)の郡長を務めた現菊川市棚草出身の牧野篤好翁。農業指導に尽力した篤好翁は退官後に帰郷し、茶産地としての種子島の可能性を説いた。勧めに応じ1909年、今の菊川市や掛川市で茶業を営んでいた栗田茂三郎、松下助七、松下清作の3氏の家族が種子島に渡った。
栗田家の親せきに当たる八木訓さん(74)=菊川市加茂=は「茂三郎たちは全財産を売り払って入植のための資金を作ったと聞いた。手作業での開墾から始まり、今では想像もつかないような苦労があったはず」と推測。自身が茶業に携わっていることもあり、「フロンティア精神に学ぶことは多い」と話す。
3家族の後も本県からの入植は続き、茶栽培面積は拡大。入植者たちによって切り開かれた種子島の西之表市古田番屋峰集落は現在、島全体の栽培面積(約160ヘクタール)の約3分の1を占める中心地となっている。集落の公民館には初期の入植者たちの名前が刻まれた移住記念碑も建っている。
篤好翁から数えて4代目の牧野栄一さん(61)=菊川市棚草=は1995年に種子島を訪ねた際の印象を「驚くほど美しい茶園が広がっていた。静岡にルーツがあることを思うと感慨深かった」と振り返る。100年を迎えて広がる現地の顕彰の動きに、「先人たちが築いた歴史をいつまでも大切にしようという気持ちを感じる。子孫としてうれしく思う」と笑顔を見せる。
記念式典は西之表市や番屋峰集落の住民が共同で準備を進めている。菊川市からは太田順一市長が出席する予定。今ではライバル関係にもある静岡と鹿児島だが、西之表市農林水産課は「お茶の消費自体が低迷しているだけに、二大産地がつながりを深めて茶業全体の発展を目指す機会にしたい」との期待を込める。
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