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人権・差別・同和問題
1
:
とはずがたり
:2008/10/09(木) 22:46:21
解放同盟(解同) 中央本部
http://www.bll.gr.jp/
全国地域人権運動総連合(全国人権連)
http://zjr.sakura.ne.jp/
全国部落解放運動連合会(全解連)は解散し発展的に結成
自由同和会 中央本部
http://www.jiyuudouwakai.jp/
2
:
とはずがたり
:2008/10/09(木) 22:47:08
>>1
解放同盟がもう一つあって可怪しいと思ったら分裂したらしい。
部落解放同盟
全国連合会
http://www.zenkokuren.org/
1981年に発生した部落解放同盟大阪府連合会荒本支部(大阪府東大阪市)の内紛によって、大阪府連を除名された荒本支部のメンバーが中心となって1991年に設立した部落解放運動団体。「全国連(ぜんこくれん)」と呼ばれる。「差別糾弾闘争の復権」「労働者人民との連帯」を掲げ、狭山闘争(狭山事件)など本来の部落解放運動のみならず、一般の反戦デモや成田空港反対闘争にしばしばその姿を見せる。部落差別を「日本帝国主義による人民分断支配の道具」と位置づけ、「プロレタリア人民革命によってのみ部落は解放される」と主張している。
3
:
とはずがたり
:2008/10/09(木) 22:48:02
この記事を張りたいが為のスレ立てでした。
「総選挙に人権派議員を」 宮崎で部落解放研究集会
http://www.kitanippon.co.jp/contents/kyodonews/20081003/348858.html
2008年10月03日 18:30
人権問題や差別撤廃について運動家や研究者が話し合う部落解放研究第42回全国集会が3日、宮崎市で3日間の日程で始まった。
人権侵害救済法の早期制定を目指している部落解放同盟の組坂繁之委員長は「来る総選挙には、真に人権派の議員を多数送り込みたい」とあいさつ。来賓として招かれた東国原英夫知事は「宮崎も県民総力戦で人権問題に取り組む活動をしている」と話した。
集会には約7000人が参加。地元報告として、部落解放同盟宮崎県連合会の仮谷龍一さんが、結婚差別などに遭った自らの体験を報告した。
4日は9つの分科会に分かれて、狭山事件の再審弁護団の報告や、部落差別と学力格差問題の討議などが行われる。
4
:
とはずがたり
:2008/12/10(水) 00:21:02
高校受験者の情報集約書に「同和地区出身」と明記 和歌山
2008.12.9 20:16
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081209/crm0812092017025-n1.htm
和歌山県内の3市町の一部公立中学校が、県立高校入試の出願時に同和地区出身の生徒の事情に配慮してもらえるよう伝えていた情報を、受験校側が「地区出身」と文書に明記し、県教委に報告していたことが9日、分かった。
県教委などによると、一部中学校が生徒の受験や高校生活について配慮が必要な事情を記入して受験校に提出する「副申書」に、同和地区出身者をほのめかす記述をした。受け取った受験校側は、副申書の内容を集約して県教委に報告する際、「農業後継者」「不登校」などの項目とともに「地区出身」と明記していたという。
県内の公立中学校では同和地区出身者に対する不当な差別の是正と配慮を目的に、平成12年、家庭環境や地区出身などを記載する「補充書」から、自由裁量で記述する「副申書」に変更した。しかし、一部受験校側では以前の補充書と同様の書式で、「地区出身」などと明記し、県教委に報告していたという。
県教委の山口裕市教育長は「副申書の内容を集約して報告することはレッテル張りになりかねない」と述べ、実態の調査と是正に乗り出す考えを示した。
5
:
とはずがたり
:2008/12/10(水) 01:04:05
【橋下徹研究】(4)「同和問題 解決していない」 (1/3ページ)
2008.7.29 22:25
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080729/lcl0807292225001-n1.htm
《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
これは、橋下徹が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。他の生徒の多くが、「3年間の思い出」のような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。
東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。
「なんで夕方の6時で部活を終わらせなあかんのですか。夏場なんか、まだ明るいやないですか」。3年時にラグビー部のキャプテンを務めた橋下は、教室と同様、グラウンドでも雄弁さを発揮し、学校側と正面からぶつかった。
背景には、地域が抱える複雑な事情があった。学力が低かったり、生活面に問題を抱えたりしている生徒の指導のため、この学校では、教師が帰宅後の生徒の住む地域に出向く「訪問授業」を午後7時から行っていたのである。府教委関係者によれば、それは同和対策事業の一環という側面もあったという。
× × ×
「いろんな子供がおるんや。先生たちだって一生懸命なんや」。ラグビー部顧問の黒田光(48)は必死でなだめたが、橋下は「なんで、ぼくらが犠牲にならなあかんのですか」としつこく食い下がり、結局、午後6時半まで練習時間を延長させたという。
この経験が影響したのだろうか。橋下は文集に《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。完全に納得できないのもたくさんある》と書く一方、複雑な思いも記している。
《でもその中でただ一つ「仲間づくり」の話だけは納得できるのは、その話が現実に起こったからだ。1年前、僕が自転車の事件を起こしたとき、みんな必死でかばってくれた》
忘れがたい事件だったのだろう。橋下は中学時代、自転車を盗んだ疑いをかけられ警察に補導されたことを、大人になってからも度々週刊誌などで告白している。そこには、警察という権力に対する批判ものぞいている。
「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」
このとき、警察を出てきた橋下を温かく迎えてくれたのが仲間たちだったという。文集にはこうある。《前の学校だったらみんな逃げてしまっただろう》
× × ×
むろん、橋下の同和政策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。
「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。
補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。
「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」(敬称略)
6
:
とはずがたり
:2008/12/27(土) 13:48:19
ひでぇなぁ。
人権問題の面もあるので此処へも投下しておきます。
ハンセン病「重監房」復元へ…冬は氷点下20度、22人死亡
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1097992700/592
群馬県草津町の国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園で戦前、刑務所代わりに患者を収監し、現在は土台だけが残る「重監房」が復元される見通しとなった。
国の来年度予算案に復元に向けた調査費500万円が盛り込まれた。重監房では過酷な環境下で多くの患者が死亡したといい、元患者たちは「人権被害の歴史を象徴する施設。実現に向けた大きな一歩だ」と喜んでいる。
厚生労働省や元患者などによると、重監房は1938年、全国の療養所の中で唯一、国が同園に建設。全国各地の療養所から触法患者や規則違反の患者が送られ、正式な裁判も行われないまま、懲罰的に収監された。各療養所で「草津送りにするぞ」と、患者への脅し文句に使われたという。
(以下略)
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