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第22回参議院議員選挙(2010年)

7665チバQ:2010/07/14(水) 21:42:06
http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000001007140001
「維新の自負」脈々
2010年07月14日


原田大二郎氏と談笑する古谷征美さん(右)。小中学校の友人として原田氏の戦いを支えた一人だ=6月30日、柳井市

◆原田氏に自民王国の壁


  参院選山口選挙区(改選数1)は自民の岸信夫氏(51)が大差で再選を果たし「自民王国」は微動だにしなかったように見える。「ふるさとの絆(きずな)」を掲げた民主の原田大二郎氏(66)に立ちはだかった王国の壁とは、一体何だったのか。主に原田氏の取材を担当した立場から、取材を通じて浮かび上がってきたものを振り返る。
(青山直篤)


  選挙戦中盤の6月30日夜。原田氏が泊まった柳井市のホテルの一室で、同窓生二十数人の小さな会が開かれた。原田氏はくつろいだ表情で、会を催した友人古谷征美さん(65)の言葉に耳を傾けた。


  「彼は俳優として、古里を振り返る間もないくらい忙しかった。皆様には色々な思いがあろうと思いますが、何とかこの古里から国会に送り込んでやりたい」


  原田氏は1944年に生まれた、戦後を体現する世代。18歳で東京に出てから約半世紀、古里は遠くから思いを募らせる郷愁の対象だった。「古里の太陽は何でも許してくれる。自分の全存在を受け入れてくれる」。選挙戦前、原田氏はそう語っていた。


  しかし、そんな郷愁とは裏腹に、民主党の公認候補となった原田氏を、古里は「自民王国」という現実の顔で出迎えた。原田氏から出馬の連絡を受け、何も言わずに支援を引き受けた古谷さんも、その強さをよく知っていた。「長州人が近代の先陣を切った伝統が自民党に脈々と流れているとの自負。絶対的なものがある」。原田氏の出馬を「今さら何だ」と感じる同窓生もいたという。


  原田氏が、古里の多様で複雑な思いを具体的な政策に練り上げるには、あまりに時間が限られていた。民主党県連も「政策でなく熱い思いを前面に出す」との戦略を進めた。誰にも異存の言えない理想「ふるさとの絆」を訴え、幅広い層を引きつける――。しかし、そんな甘い期待は「王国」の現実の力の前に打ち砕かれることになる。


  古里で現実を生きる人々が自民党議員を通じて国の中枢と結びつき、利害調整に老練の知恵を注ぎ込み、政策上の目的を果たす。それは、長州が作り上げた中央集権の近代日本で、目的の達成を果たす安定したシステムだったとも言える。鳩山由紀夫前首相が普天間問題で迷走した末に事態を打開できないまま退陣したときも、自民党県連の松永卓幹事長は「我々が先輩から教わってきた『一つの目的を達成するための努力』とはあんなものではない、と思った」とシビアに語った。


  とはいえ、政権を手放した自民に、長州が頼みとした中央での権力はない。選挙戦終盤の応援演説で、民主党県連の平岡秀夫代表は「民主党中心の政権は、衆議院で多数を持っている限り残る。予算でも、山口県がいつまでたっても抵抗勢力のままでいたら取り残されてしまうのではないか」と叫んだ。予算をたてに支援を求めるかのような訴えは、かつての自民党の手法を思わせるものでもあった。


  それでも揺るがず、原田氏の郷愁を打ち砕いた王国の強さ。それは成功体験に縛られた頑迷さにすぎないのか、かつての長州藩のような変革を恐れないしなやかさや自立心を秘めているのか。「守るべきものを守るために変わってきたのが山口の保守政治」と語る岸氏。その覚悟や、王国の強さの内実をじっくりと見極める重い課題が、一人一人の有権者には残されている。


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