したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

第22回参議院議員選挙(2010年)

6952チバQ:2010/06/28(月) 22:43:44
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=22113&storytopic=42
▼中▼ 自民・現 山崎正昭氏
(2010年6月22日午後4時34分)
.

地区の事務所開きでガンバロー三唱をして気勢を上げる山崎氏(中)=20日夜、あわら市大溝3丁目


支援者回り 地道徹底

 鳩山由紀夫前首相が退陣し菅直人政権にバトンタッチして間もない12日、自民党現職の山崎正昭氏(68)は福井市の西武福井店前の街頭に立ち、マイクを握っていた。

 「“愛郷無限”を一徹に通してきた。今こそ私がやらねば誰がやるんだ、そんな思いを持っている。北陸新幹線の県建設促進同盟会に与党の議員は誰一人出席しなかった。全く無責任な政治家(たち)だ。何が民主党だ、何が与党だ」

 鬼気迫る表情、声をからしながらの演説は、民主党に突然の追い風が吹き始めた危機感の裏返しでもあった。鳩山政権下で大きく落ち込んだ民主党の支持率は、V字回復を果たしたからだ。

 自民党内には、米軍普天間飛行場の移設問題などで迷走し、政治とカネの問題を抱える鳩山前首相−小沢一郎幹事長の体制で参院選に突っ込めば選挙戦を有利に進められるとの思惑があったが、もくろみは崩れ去った。

 その1週間前。福井市内で開かれた党県連定期大会で講演した同党の大島理森幹事長は、内閣不信任決議案提出の機を逸し、鳩山前首相の“辞任劇”を傍観せざるを得なかった事情を説明。「鳩山さんはそう簡単に辞めないと思った。民主党の政治的構造を国民の前に明らかにさせるには内紛を表に出した方がいいという戦術を取った」と述べ、与党時代と違って国会運営はままならず、野党としても“不慣れ”な現実を物語った。

 昨秋に政権交代し、野党として臨む初めての選挙。県連は「国や福井の行く末を決める政権選択に匹敵する選挙」(仲倉典克幹事長)と位置づける。山崎氏は子ども手当などの政策を批判し「このままでは分配型の社会主義国家になる。何としても歯止めをかけたい。私自身も当選させていただきたいが、それ以上に国家の憂いを解消したい」とし、民主党政権の打破を叫ぶ。

 展開するのは従来通り徹底した“どぶ板選挙”だ。昨年秋に大きく体調を崩したが回復し、健康不安説を打ち消す意味もあり「一人一人会って、握手をして、心相通じさせることが大切。2万5千〜3万人の人に顔を見てもらった」。

 並行して組織的な戦いも本格化。県内の自民党支部と連携した合同事務所を21カ所で開いた。後援会連合会は4月に県連地域・職域支部との合同会議、5月には会長・幹事長会議を開き、対策を練った。さらに七つある後援会連合会のブロック会合には陣営担当者が出向き、てこ入れを図る。

 ただ、参院選の初出馬から18年がたち、支援者は高齢化。昨秋、一部の県議の間で「世代交代」を掲げて対抗馬を擁立する動きがあったこともなお影を落とし「県議の動きが低調な地域がある」との危惧(きぐ)も聞かれる。

 最大の懸案は自民党の支持率が上向いていない点だ。稲田朋美県連会長は「『自民党−政権与党=ゼロ』だった。事なかれ主義でなく、もっと戦う姿勢を見せないと今のままでは解党になる。国民全体の利益を考える政党になれるかが試される」と強い危機感を示す。

 「自民党に吹く風も私に吹く風も厳しい」。地方選挙を含め過去8回の選挙すべてに勝ってきた山崎氏は、かつてない逆風の中での戦いになる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板