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非自民非民主系保守

929名無しさん:2009/12/20(日) 20:18:22
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田村議員自民離党 ブログで県連としこり
2009年12月19日


自民党からの離党を表明する田村耕太郎参院議員=県庁

18日に自民党に離党届を出した田村耕太郎参院議員は、都内の参院議員会館と県庁で記者会見を開いた。「鳥取選挙区で無所属で戦う」と明言しつつ、状況によっては他党に移ることにも含みを持たせた。自らの経済政策が実現できないことを離党理由に挙げたが、自分のブログなどで展開した自民党県連批判をきっかけに深まった県連側とのしこりも背中を押した形だ。(井石栄司、佐藤建仁)
 田村氏は参院議員会館での会見の冒頭、離党声明を読み上げ、ブログの文章をめぐって自民党県連青年部・青年局が謝罪を求めてきたことについて、「失望と義憤をぬぐうことができません。もはや一緒に戦うことはできない」と指摘。「志を持つ仲間や心ある人々と行動をともにする」と述べた。
 みんなの党や民主党への入党については、「具体的には申し上げられない。あらゆる選択肢を考えていきたい」と明言を避けた。党を捨てたとの批判が予想される点については、「何を言われてもいい。時間がない。日本を救うしかない」。会見の間、「何が起こるかわからない」「今のままでは展望がない」という趣旨の発言を繰り返した。
 田村氏は1998年の参院選鳥取選挙区、99年の知事選、00年衆院選鳥取1区に無所属で立候補し、いずれも自民党の公認候補や推薦候補に敗れている。同党の坂野重信参院議員の死去に伴う02年参院選補選で無所属で初当選後、入党した。
 こうした経緯から、自民党県連内部には元々、田村氏に批判的な勢力が多かった。さらに、田村氏のしゅうとである新日本海新聞社主が今年の総選挙の前後に日本海新聞に書いたコラムをめぐって、「民主党寄りだ」と県連幹部の反発も招いていた。
 県連は今年6月、来夏の参院選の公認候補者を公募した。県連の一部には、坂野元議員の孫で医師の坂野真理氏が応募することを期待する声もあった。結局、真理氏は同時期にあった民主党の候補者公募に応じ、自民党の公募には田村氏だけが応募。県連は田村氏を党本部に公認申請するはずだったが、解散・総選挙を理由に決定を延期。11月の臨時総務会では田村氏の信任投票を実施すると決めた。
 これに対し、田村氏が反発し、自分のブログやメールマガジンで、「今の自民党でも支持するような人たちが信任する候補者が無党派の心をつかめるだろうか」と、党員批判とも受け取れる記述をした。これを県連青年部・青年局が問題視して、謝罪を求める騒動に発展。結局、県連側が折れ、11月下旬に党本部に田村氏の公認申請をしたばかりだった。
 田村氏は今回の県庁での会見でも、「公募をやっておいて、なぜもう1回信任を得ないといけないのか。本当に屈辱に感じた」と語気を強め、党県連への不信感をあらわにした。


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