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非自民非民主系保守
7210
:
名無しさん
:2015/09/20(日) 10:18:17
>>7209
中でも「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。すでに小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在で、その上「東京出身の転校生」は言葉の問題などでもからかわれやすかった。小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られたという。
ここで橋下が選んだ道は、彼らと敵対するのでも、手下につくのでもなく、彼らの交友関係に自ら飛び込むことだった。橋下は青少年向けの著書「どうして君は友だちがいないのか」で、ユーモアを交えながらこう述べている。
「要するに(ドラえもんの)スネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません。その選択を非難できる大人なんて絶対にいないはずです」
× × ×
小中学校時代は、体の大きさから「おっさん」、高校では、名前の読み方から「ハシゲ」と呼ばれた橋下。中学時代から始めたラグビーも「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」。
ただ、いつまでも「スネ夫」でいるわけにもいかない。成績も優秀だった中学時代の橋下は、言葉では自分をうまく表現できない「ワル」たちの「代弁者」として次第に存在感を増していった。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。放課後の教室で、車座になって橋下の言葉にうなずく生徒たちの姿は、教師の間で「橋下塾」と呼ばれていたという。
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