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非自民非民主系保守

6218チバQ:2014/04/14(月) 22:55:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140413-00000565-san-pol
みんな新代表の浅尾氏、「アジェンダ」封印…脱・渡辺色を暗示か
産経新聞 4月14日(月)8時0分配信

会見するみんなの党の浅尾慶一郎幹事長=11日午前(撮影・酒巻俊介)(写真:産経新聞)
 脱官僚や中央集権打破などの「アジェンダ」(政策課題)を看板にしてきた「渡辺商店」が閉店に追い込まれた。「劇団ひとり」と揶揄されながらも平成21年に自民党を単独で離党し、みんなの党の創設者として屋台骨を支えてきた渡辺喜美前代表だが、巨額の借入金問題で党内や地方組織から退陣要求が噴出し、自ら幕を引かざるを得なくなった。

 「自民党を離党し、私が1人でこの党をやってきた。党に対する執着もあるが、代表の地位に恋々とするつもりはない」

 7日、渡辺氏が代表辞任を表明した記者会見。これまで強い個性と突破力で党を牽引してきた自負と、自ら創設した党を自身の問題でこれ以上、混乱させる事態を避けるには身を引くしかないという悔しさが交錯した。

 巨額の借入金問題は渡辺氏にとって代表辞任に追い込まれる致命傷になったが、党の屋台骨はそれ以前から揺らいでいた。

 その象徴が渡辺氏の純化路線だ。昨年8月、渡辺氏は野党再編をめぐる路線対立を理由に、柿沢未途氏に「何も言わないから、離党してくれ」と離党勧告。事実上の追放だった。柿沢氏は結党後、初の総選挙で初当選。国政進出を誘われた渡辺氏を誰よりも支えてきた一人だっただけに、柿沢氏本人の衝撃度は、離党会見の一言に凝縮されている。「はらわたがちぎれるほど残念だ」

 渡辺氏の「党の方針、私の方針と反する言動があった」と、あっさり柿沢氏を切り捨てる姿とは対照的だった。だが、この一件を契機に独裁色はますます強まり、遠心力も加速した。

 柿沢氏の離党から4カ月経た昨年12月。今度はみんなの党の江田憲司前幹事長(当時)ら党所属議員14人が離党届を提出した。結党以来、幹事長として渡辺氏を支えてきた江田氏は離党届提出後の記者会見で渡辺氏の独裁的な党運営を批判するとともに、こう言い残し、党を去った。「みんなの党は結党の原点を忘れて変わり果てた」

 かつての党関係者は渡辺氏のワンマン手法について「昨年の参院選の公認候補選定や特定秘密保護法の対応など周囲に相談せず独断で決めてしまう」と酷評する。江田氏はその後、柿沢氏らと新党「結いの党」を旗揚げするが、党分裂劇の最中、ある党所属議員は「出るも地獄、残るも地獄だ」と漏らしていた。

 渡辺氏失脚で党解体の危機に直面する、みんなの党。その火中のクリを拾った浅尾慶一郎代表には党再建という重い仕事が待ち受ける。浅尾氏は代表就任の挨拶で「大変な難局にある。結党の原点に立ち返り、全員参加で改革を進める」と結束を訴えたが、失墜した党への信頼を回復するのは簡単ではない。借入金問題の調査結果次第では「身内に甘い」との批判を浴びる可能性もある。

 問題は、渡辺氏の影響力をどうコントロールするかだ。渡辺氏は党創設者だけに、新執行部の党運営に少なからず影響力を与える「院政説」が早くもささやかれているからだ。

 代表就任の記者会見では浅尾氏に対し、集団的自衛権の行使容認問題など安倍晋三政権への「接近戦略」を推進してきた渡辺氏の路線を継承するかどうかについて質問が集中した。

 「私の使命は、みんなの党が掲げる政策を実現するということだ。与党であれ、野党であれ一緒にやろうと持ちかける」

 「私たちが主張した政策は全員で決めてきた。変えることはない」

 浅尾氏は是々非々路線を強調してみせたが、「渡辺氏は第1次安倍内閣の閣僚だったが、私はそういう関係にない」とも付け加えた。さらに、永田町では“渡辺語”とされるアジェンダという言葉も、浅尾氏の就任挨拶、その後の記者会見を見る限り、一言も発しなかった。「脱・渡辺色」を暗示しているのかもしれない。(岡田浩明)


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