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非自民非民主系保守

1966とはずがたり:2010/05/27(木) 13:03:28
>>1964-1966

矢原由佳子(34歳)。
三重県立医療センターの女医だった。シンガーでもある。一昨年交通事故に遭い瀕死の重傷。患者の立場から医療を見つめ直した。政治はズブの素人だったが、山中光茂松阪市長から誘われ、立候補を決意した。松阪市は、私が自民党離党後、全国行脚を始めた最初の地。彼女も草の根国民運動から生まれた候補である。

水野賢一(43歳)。
千葉県選挙区。自民党代議士時代は私の同期生。改革マインドは抜群。事業仕分けや道路特定財源の廃止で活躍した。今回私同様、自民党を見限ってみんなの党に来た。自民党しか知らない後援会の説得は大変だったと思う。

佐藤正夫(55歳)。
福岡県議会議員。自民党県連の総務会長だった。長年、県幹部の天下りを追及してきた、自民党では珍しいタイプ。今回は地域主権型道州制運動を進めていた石橋一海さんから押されてみんなの党にきた。自民党県連には激震。

井坂信彦(36歳)。
兵庫県選挙区。京都大学総合人間学部卒業後、神戸で就職。「ねこだいすき」で猫のテーマパークを手がけた。神戸市議会議員となり、2回連続トップ当選。全国若手市議会議員の会会長として300人ほどの地方議員をまとめる。穏やかなイメージとは裏腹に、燃えたぎるような情熱の男。

櫻内朋雄(41歳)。
島根選挙区。祖父は元中国電力会長。その弟が櫻内義雄元衆議院議長だが、セレブのお坊ちゃま君ではない。自らタコ焼チェーン店などを営む実業家である。自民と民主しか選択肢がなかった島根に登場した第3極の意義は大きい。

松田公太(41歳)。
東京選挙区。水産会社に勤めていた父とともに海外生活が長かった。アフリカやアメリカに10数年。帰国子女である。三和銀行勤務を経て、タリーズコーヒーと出会い、日本法人を創設。本国より大きくした。シンガポールに移り住む日本の経済人を見て一念発起。日本に元気を取り戻そうと、みんなの党にやってきた。

中西健治(46歳)。
神奈川選挙区。JPモルガン日本法人ナンバー2まで登りつめた。損得勘定抜きで政治の世界に。昨年8月の横浜市長選挙では民主推薦候補に惜敗。巻土重来を期す。なぜ、みんなの党を選んだのか。成長なくして分配なし、民間が主役の成長路線が明確だからである。

小林司(39歳)。
埼玉県選挙区。 楽天執行役員を休職して出馬。楽天には選挙休職制度がある。大学卒業後、電通入社。29歳の時、名もなきベンチャーだった楽天に移る。今回はたった6人のベンチャー政党、みんなの党に賭ける。

大川成典(46歳)。
茨城選挙区。日立建機などに部材を納める鉄鋼加工会社の役員だった。経済の最前線で日本の衰退を皮膚感覚で感じてきた。土浦工場の工場長を十年間勤めた現場の声を、国政に伝えたい一心で立候補を決断。みんなの党の公募に応じた。

菅本和雅(42歳)。
福島選挙区。いわき市の隣で中小企業を営む若手経営者。地方の地盤沈下を目のあたりにし、官僚統制、中央集権から脱却しないと日本の地方復活はないと決意した。

 機動戦士ガンダムの原作者富野由悠季さんは、小沢氏が谷亮子選手を擁立したことに怒りを覚え、みんなの党のキャッチコピーを考えてくれた。「みんなの党、○○、行きます。行かせてください」。

(著者:渡辺 喜美)


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