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小沢一郎の政権構想
2001
:
名無しさん
:2015/10/03(土) 11:40:12
https://www.facebook.com/iwata.atsushi1/posts/825164817569692
岩田 温
6月13日 ・
*シェア・拡散をお願いします。
【石原慎太郎を斬る!】
石原慎太郎が回顧録(
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)を出版したという。以前、『国家なる幻影』という回顧録を文藝春秋から出版していたが、どのような違いがあるのか。
『国家なる幻影』が出版されたとき、僕は中学校の三年生だった。高校受験の際に、面接会場で随分待たされると聞いていたので、持って行った本が、『国家なる幻影』だった。色々と興味深い話が書かれてあり、夢中になって読んだ記憶がある。
日本が降伏し、終戦となった日のアメリカの新聞を村松剛が持ってきたことがあった。その新聞のイラストには、ドイツとは全く異質なナマズのような化け物のように描かれた日本があったという。アメリカ人が日本人を異質な化け物のように意識していた表れだった。
沖縄返還やベトナム戦争、私が政治という世界に興味をもったのは、石原慎太郎の著作を読んだためかもしれない。
だが、その後の石原の迷走ぶりは見るに堪えなかった。とりわけ、「晩節を汚した」としか思えなかったのが、昨年の総選挙だ。自分を慕う人々が決死の思いで作った「次世代の党」を守り抜く気概が微塵も感じられなかった。
総選挙の前に引退を表明してみたり、比例名簿の順位を最下位にしたりと、どうみても、自分の後輩、部下を見殺しにしているようにしか思えなかった。
総選挙が終わった後の引退表明の際、次のように語っている。
「仲間への義理は果たせたと思うので、晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」
全ての候補者が当選したのならば、当然の発言だろうが、若手は壊滅した。この男には自責の念というものが全くないのだ。責任感というものが全くない政治家、それが石原慎太郎の正体だったのだ。そう思わざるを得なかった。
思えば、彼は派閥政治を憎むと言ったが、派閥の中で生き抜いていく術を知らなかった。要するに、田中角栄のように庶民の素朴な感情を知らない。義理と人情に欠けるのだ。常に脚光を浴び続けるスターでなければ気が済まないのだが、それでは日本という村社会を生き抜くことは出来はしない。
政治的に反対する人も多いだろうが、昨年の総選挙の際の小沢一郎の発言は、石原慎太郎との格の違いを見せつけるかのような立派な発言だった。
生活の党を離党し、民主党や維新の党から立候補、当選を果たした議員について小沢は次のように語った。
「政治生命をつないで頂いて良かった。基本的なものの考えは一緒なので、大変良かったと思っている」
また、自公圧勝の選挙結果について「野党が統一できなかったこと」を最大要因にあげ、生活の党の多くの議員が議席を失ってしまったことには「私の不徳の致すところ」とし、「同志を失ったことは大変残念で申し訳なく思っている」と語った。
自分を慕い、ついて来る人間を全力で守り抜く姿勢が全く欠けている石原慎太郎の回顧録。恐らく、自らを悲劇の英雄視する自己陶酔とナルシズムの塊のような回顧録なのだろう。
初心な中学生だった私は欺かれたかもしれないが、齢三十を越えて、この手の醜悪な老人の自己陶酔に付き合う暇はない。
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