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小沢一郎の政権構想
124
:
名無しさん
:2009/09/09(水) 21:04:10
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/200909/0909_1.htm
小沢一郎 追い詰められた改革者
Ichiro Ozawa: Reformer At Bay
エドワード・W・デズモンド 『タイム』誌東京支局長
フォーリン・アフェアーズ日本語版 1995年11月号
「日本の政治評論家の多くは、小沢の時代はすでに終わったと考えている。だが、もし彼らの見方が正しいとしても、「小沢は、冷戦モデルからの脱皮にむけた日本の努力の新局面を切り拓く主要な役割を担った政治家として評価されるべきだ」。「彼は日本が直面する問題を明確に指摘しただけでなく、分裂を策して古巣の自民党と袂をわかち、三八年間に及んだ自民党支配を連立政権の樹立をもって打ち破った立役者」である。個人としての政治的将来はともかく、小沢は「日本を変革させるというアイデアをめぐる具体的な枠組みと流れを形成した人物として」評価されるべきだろう。」
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小見出し
ポスト冷戦モデルへの脱皮
明治を意識した小沢 <公開中>
田中角栄との出会い
愛されぬ政治家<公開中>
国内改革
外交・防衛政策<公開中>
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明治を意識した小沢
小沢は明治時代を強く意識し、自らを一八六七年に江戸幕府を倒した人物たちに重ね合わせて考えている。少年時代の小沢は慎み深く勉強熱心だった。彼は、明治的価値をもつ気丈な母親から、ピューリタン的な生活規範を重視する明治の価値観――慎み深さや、「男の子は泣くものではない」、「不平を言わず、言い訳をせず」といった価値――を教え込まれた。若き日の小沢は、徳川幕府を倒した人々に強く魅了された。いまでも彼は、その先達たちが世界へと目を向け、工業、教育、軍事、政治面で彼らがそこに見出した枠組みを導入した明治期が、日本の最善の時代だったと考えている。事実、小沢は著作の一章を、大久保利通や伊藤博文など明治期の指導者の華々しい業績の論考にあて、そこで熱っぽい議論を展開している。
たしかに小沢は、徳川幕府を倒し明治期に改革を断行した人物たちと、その資質の一部を共有している。小沢同様、明治期の改革者たちもエリートの特権階級で、その激しい改革志向は、現実的な経験や現状認識によって導かれていた。彼らは、仲間である当時の支配階級よりも、たとえば、西洋の軍事技術に遅れをとっていることが日本にとっていかに危険なことかについても、より状況をわきまえていた。ペリー提督の「黒船」は、そうした脅威のシンボルだった。小沢は日米貿易交渉の促進役となり、湾岸戦争をめぐっては、あえて火中の栗を拾う一か八かの論争を巻き起こしたが、彼のこうした洞察力は、明治の先達たちに比肩しうるものだったといえる。
冷戦の余波のなか小沢は、問題はシステムの老朽化にあると論じた。自民党の旧来の指導層は、米作農家の保護、あるいは憲法第九条の平和主義の慎重な維持など、特定の選挙民や利益団体の要望に縛られた視野の狭い問題に終始し、大所高所からの視点を失っていた。こうした状況下で発表され、大きな影響力をもった小沢の著作『日本改造計画』は、新たな政治や統治システムの導入の必要、とくに、政治家がより優れたリーダーシップを発揮する必要を強調した。
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