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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

54とはずがたり:2009/04/18(土) 02:24:50
道路レポート 宮城・福島県道107号線 赤井畑国見線 
ttp://yamaiga.com/road/yamazaki/main.html

県道107号赤井畑国見線(山崎峠)
ttp://roadweb.web.fc2.com/report_p/p107_akaihata/p107_akaihata.htm
この鉱山と本県道の開通は無関係ではなく、鉱産物の搬出や通勤道路として整備されたものであるが、ただし、道中の七里沢隧道が昭和28年開通(『山形の廃道』さん資料による)であるならば、やや時期的な開きがある。
これについては、謎のままだ。
(県道に指定されたのはさらに遅れて、昭和33年である)

県道107号線の通行について
ttp://www.pref.miyagi.jp/kohou/ombudsman/h13/h13_jirei07.htm

県道107号線 山崎峠
ttp://dtm.fc2web.com/3.dtm/5.project-web/project-4/1.kendou107/hido_deta2.html
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(ttp://mx11.hp.infoseek.co.jp/)「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

…七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残っており、

県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。一時は学校や映画館まであったと伝えられる鉱山である。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も、判る気がするのだが。
 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

山崎峠の先に謎の廃墟が・・・
ttp://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page017.html
場所はこの辺
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.54.53.344&lon=140.32.30.911&la=1&sc=4&CE.x=252&CE.y=229
三安(ミツヤス)鉱山
■ H15.11.09  小野寺寅雄著 「みやぎの峠」(河北新報社刊 平成10年)
山崎峠の項に「三安鉱山」についての記述がありました。
昭和18年頃まで操業しており、最盛期は千人以上働いていて、学校や映画館もあった、とあります。

大正4〜5年頃、書かれた「苅田郡小原村誌」には、七里沢鉱山の記述があり、工夫13人で5箇所を探鉱しているが、有望なものはなく、近くの古い鉱山跡も探鉱するらしいが、そんな価値があるのだろうか、と懐疑的な所見が述べられています。
この年代にはまだ発見されてなかったようです。

55とはずがたり:2009/04/18(土) 02:25:11
>>54-55
これら↓をあたっても三安鉱山は出てこない。。マイナーな鉱山だったのか?

鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
鉱山探訪>資料室>一覧
http://www6.airnet.ne.jp/~mura/mine/info/index.html
記憶屋「廃墟」
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/mine.html

56とはずがたり:2009/04/18(土) 02:47:18
三安鉱山は山崎峠を越えて県を跨いだ福島県側に出荷されていたがS11には県道の準備指定が成されていた。この時点で隧道の掘削も開始?
S18年頃国の統制に引っかかり閉山させられた三安鉱山は戦後復活して県も後押しの為隧道もS28には完成し,S33には県道に指定されている。
戦後のいずれかの時点で復活したかする予定だった三安鉱山だが実際にはどうだったのかは不明。
と,纏めてみるとこんな感じ?

へなり氏のサイトも足しておこう

トップ>廃道電撃ネットワーク>南東北>宮城>県道107赤井畑国見線山崎峠
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm
遂に来ましたよ七里沢隧道。山形の廃道様資料によると昭和28年竣工だそうで、それ以前からこの隧道が存在していたのかどうかは定かではない。


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