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京都・京師・京洛

570荷主研究者:2017/08/06(日) 22:42:45

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170722000105
2017年07月22日 15時59分 京都新聞
祇園祭山鉾町、激変の半世紀 京都

ビルが林立する室町通。町の様子はこの半世紀で劇的に変化した(14日、京都市中京区)

 祇園祭の山鉾町は、半世紀の間に激変した。木造家屋からビルへといった景観の変化だけではなく、人が急激に入れ替わった。京都市の真ん中の狭いエリアに、世帯数も人口もゼロの町内から、蟷螂(とうろう)山の339世帯711人の町内まで、さまざまな特徴を持つ町がある。世帯数と人口の変遷を調べると、山鉾町の中での地域性が垣間見える。

 山鉾町は東洞院通、油小路通、姉小路通、松原通に囲まれた地域のうち、山や鉾を持つ町内を指す。中京区と下京区にまたがり現在33カ町ある。全ての山鉾町の世帯数と人口を、国勢調査から調べた。33山鉾町の世帯数が最多だったのは2015年の3799世帯、最少は1975年の911世帯。人口の最多は1935年の1万436人だが、この50年間の最多は2015年の6313人、最少は95年の2404人だった。

 不動産コンサルタント天野博さんは、世帯数と人口が「底」を打って増加し始める時期にずれがあることに注目し、「人口が減っているのに世帯数が増えた時期があるのは、若い世代と単身が増えたということ」と指摘する。

■室町はV字回復
 山鉾町は立地によって異なる姿を見せる。

 四条通の烏丸と室町の周辺にある長刀、函谷(かんこ)、月、鶏の四つの鉾町は、世帯数も人口も減り続けている。長刀鉾と函谷鉾は世帯も人口もゼロ。ビジネス街の立地からマンションも建たない。

 一方、室町通の姉小路-四条間にある役行者(えんのぎょうじゃ)山、黒主山、鯉山、山伏山、菊水鉾の5町は、バブル崩壊後に人口が「V字回復」した。

 室町通は呉服問屋の通りだった。1935年は5町で135世帯1595人。住み込みの奉公人や下宿人が多数含まれる。それが、65年には105世帯553人に減り、バブル経済崩壊後の95年は35世帯99人と壊滅的な状態だった。

 ところが、それから20年で792世帯1429人と激増した。天野さんは、バブル経済期に地価が上がって資産価値が増したものの、その後、「バブルの清算に巻き込まれて不動産を手放した」ことや規制緩和などが、商業系から住居系の通りへ変化した理由だと分析する。この13年間で坪当たりの価格が約90万円上昇したマンションがあり、「高額マンションが増え、セカンドハウス化する可能性があり、再び空洞化の恐れもある」と警鐘を鳴らす。

 新町通の三条-四条間にある八幡山、北観音山、南観音山、放下鉾の町内は、室町通とは異なり、緩やかな変化を見せる。世帯がやや増加しても人口はそれほど増えていない。「町の東西で性格が異なる傾向がある」とするのは京都工芸繊維大講師佐々木厚司さん(都市建築再生学)。室町通と、かつて豪商が軒を連ねた新町通とでは性格が異なり、烏丸通から西へ行くほど居住空間としての性格が強くなるという。また、「今の小学校区は範囲が広すぎる。アイデンティティーの再構築に、明倫や本能、格致といった元学区が見直されている」と指摘する。

■「大学の活用も」
 四条通以南の6町の世帯数は80年が最少で212世帯、人口は85年の590人が最少だった。その後増加に転じ、15年は1089世帯1710人となった。

 下京区綾小路通室町西入ルの綾傘鉾の町内は、95年に27世帯62人人だったのが、15年には163世帯231人に増加した。佛教大教授で綾傘鉾保存会理事の八木透さん(民俗学)は、「町内は賃貸マンションがほとんど」と話す。賃貸マンションは独身や単身者が多く、町に対する帰属意識が薄いケースが多い。「人口増には限界があるし、人口増が必ずしも祭りにプラスになるとは限らない。京都は学生の街。大学の力を生かさない手はない」と持論を語る。


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