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京都・京師・京洛
497
:
荷主研究者
:2016/08/28(日) 16:14:54
http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20160805000082
2016年08月05日 13時13分 京都新聞
老朽化、京大「花谷会館」に保存の声 今秋空き家に
京都大の正門の横にある花谷会館。現在入居する京大生協本部は9月中に吉田キャンパス内で移転し、空き家になる(京都市左京区)
京都大(京都市左京区)が、正門横にある「花谷会館」の今後の在り方について検討している。広島の原爆の現地調査に出向き、枕崎台風の直撃を受けて24歳で亡くなった大学院生の花谷暉一さんの遺族が寄贈した。1947年築で、老朽化が激しく今秋には空き家になるが、京大の「戦後」の記憶を残す建物だけに保存を望む声が出ている。
■原爆調査で災害死、院生の遺族が寄贈
会館は木造2階建て延べ約160平方メートル。当初は喫茶店が入り、後に京大生協本部が事務所として利用してきた。耐震基準を満たさず、同本部は9月中に同じ吉田キャンパス内の別の建物に移転する。
花谷さんは旧制三高から京都帝国大理学部に進学。原子核物理学の第一人者、荒勝文策教授の下で大学院生として研究生活に入った。日本の原子核研究史に詳しい政池明京大名誉教授(素粒子物理学)が「連鎖した核分裂反応を起こすための条件を探る研究で、精度が高く世界的にも重要な結果を残した」と語るように極めて優秀な研究者だったようだ。
荒勝教授は海軍から原爆開発の研究を委託されていたが、花谷さんの研究成果は「原爆研究を目的としていなかった」(政池氏)とされる。ただ、京大と海軍との合同会議でも重要な成果として報告された。
広島に原爆が投下された直後の45年8月10日に荒勝教授らとともに現地に出向いて土壌を採集、すぐに京都に持ち帰って分析した。ウランの核分裂の際に生じる放射性物質からのベータ線を観測し、広島の爆弾を「原爆」と断定するのに大きな役割を果たした。
再調査のために訪れた広島で同年9月17日、宿泊していた病院が山津波で流され、研究者10人とともに亡くなった。花谷会館は、兄の正明さんが「弟の霊がとどまるこの地で、学生の福利厚生の一助に」と寄贈。応接室には花谷さんの遺影と由来が掲げられている。
花谷さんが父のいとこという大阪市の神職、花谷幸比古さん(66)は「暉一さんは生前、『おにぎり一個で京都を破壊できるぐらいの爆弾の研究をしている』と話していた、と父から聞いた。取り壊しても記念碑などを建て、平和のありがたさを後世に伝えてほしい」と話す。京大関係者からも「平和とは何かを考えさせられる建物。何とか保存を」との声が上がる。
京大施設部は「建物の性格を踏まえ、どうするか決めたい」としている。
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