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京都・京師・京洛

487荷主研究者:2016/07/30(土) 12:55:21

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160515000071
2016年05月15日 17時07分 京都新聞
計画止まりの鉄道跡? 京都・宇治の京阪電鉄橋梁

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JR六地蔵駅の下にある駐輪場。このコンクリート製の橋が京阪電鉄橋梁だ(宇治市六地蔵)

 JR六地蔵駅(京都府宇治市六地蔵)下にある市の駐輪場が設けられた橋が3月下旬、ネットで注目を集めた。<京阪の未成線の痕跡なのでは>。未成線は計画段階で中止になった鉄道路線。発端はJR西日本が奈良線第2期複線化事業の着工に向けて公表した環境影響評価書だった。

 評価書には工事をする橋の一覧があり、そこに「六地蔵-桃山『京阪電鉄橋梁(きょうりょう)』」との記載があった。これは駐輪場のある橋のことだ。だが六地蔵―桃山間では南側を平行して走る京阪宇治線はJR六地蔵駅から南西約300メートルも離れている。それなのに「京阪」の名称が付いているため、未成線の痕跡との見方が広がったのだ。

 市やJR、京阪に聞いても詳しい由来が分からない中、有力候補として1926年に京阪が当時の鉄道省に敷設申請した「京阪六地蔵線」が挙がる。同線を調べた府立総合資料館(京都市左京区)の若林正博さん(47)によると、京阪六地蔵駅から大津市を結ぶ計画だったが、その後の恐慌で頓挫したという。

 若林さんは「詳細な図面が残り、思いつきの泡沫(ほうまつ)路線ではなかった」と説明する。同線なら奈良線と交差する形になるが、記録がなく橋梁がその痕跡かは分からないという。

 また京阪宇治線の一部だったとの説もある。同線は宇治川の氾濫で大正時代から昭和初期にかけ、線路流出や浸水に悩まされた。「線路が崩れて南に移動し、その後、旧国鉄が橋梁を買い取った」との見立てだ。いずれにせよ証拠はなく、鉄道ファンの間でミステリーとなっている。


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