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西洋史

68名無しさん:2016/11/23(水) 16:10:29
>>67

あり得たかもしれない世界史
 このフェニキア・ネットワークの頂点に立っていたのがカルタゴなのだが、地中海周辺に無数に分布していたフェニキア系の植民市の中でなぜカルタゴが中心とならざるを得なかったのか、という疑問に答えることが本書のもう一つの軸となっている。

 フェニキア・ネットワークは第一義的には交易網であるが、問題は経済的要因だけには還元し切れない。カルタゴは戦争の主体でもあった。「武器によって立つ者は武器によって滅ぶ」――この言葉はローマ帝国にももちろん当てはまるが、カルタゴ「帝国」にも同じようによく当てはまる。

 カルタゴは通商国家であると同時に、古代地中海でも目立った軍事強国であった。「商人=非軍事的」という図式は古代地中海世界の場合、あまり妥当しない。

 カルタゴが、特にシチリア島を舞台としてどんなに常に戦争に明け暮れていたか――その相手は「ローマ以前の地中海覇権」のもう一方のにない手であるギリシア人なのだが――は、本書の記述から理解されるであろう。

 同時に、フェニキア人の交易網の中で、前六世紀頃以降カルタゴが最大の結節点となっていく条件を問うていくと、そこには母市テュロスとの関係の問題、更には先述のカルタゴの宗教の問題が浮上して来る。

 佐藤氏の執筆部分はテュロス市をはじめとするフェニキア本土(シリア・パレスティナ)のフェニキア人の歴史を通観するとともに、植民市カルタゴの宗教についてポエニ語史料の分析を通じて光を当て、この問題に関する手がかりを与えている。

 ローマによるカルタゴ殲滅(前146年)は劇的であるが、そのことで地中海史はどう変わったのか、変わらなかったのか、ローマでなくカルタゴが地中海を統一することはあり得たのか、などなどローマ帝国成立直前の「まだカルタゴ人のいる風景」は世界史をめぐる様々な想念を呼び起こす。

 ポエニ戦争とハンニバルで有名なカルタゴをローマ史の文脈の中で考えるのではなく、逆にフェニキア・カルタゴを一つの展開軸とする地中海全史――その中にローマ史も包含され、そこから必然的にローマ帝国が生まれて来る――を考えるとしたらどうなるのか、このような問いが、読者のもとに届くことを願っている。

 読書人の雑誌「本」2016年11月

栗田 伸子


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