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西洋史

19とはずがたり:2012/05/09(水) 08:05:47

機関車トーマスシリーズの舞台はソドー島と云う架空の島だが,このソドー島と云うのは実在のマン島を含むイギリス国教会の教区名に由来するのだそうな。で,正式にはイギリス国王家領で英連邦領ではないのだそうな。

因みにスペインとフランスの共同主権下(正確にはフランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とする)のアンドラ公国だが,現在は独立国家化しているようだが,やはり行政区が教区単位と成っている様だ。

ソドー島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%89%E3%83%BC%E5%B3%B6
成立の過程
「汽車のえほん」シリーズが巻を重ねるにつれて、作者のオードリー牧師の許には設定の矛盾について質問する愛読者からの手紙が多数届くようになった。これらに答えるための矛盾のない設定を考えるうちに、牧師は体系的な架空の舞台設定を考案し始めた。

折りしも教会の仕事でマン島を訪問したオードリー牧師は、その島を管轄する教区の名が「ソドー・アンド・マン教区」であることに気づいた。教区名からは、あたかもマン(島)と並んで「ソドー(島)」という土地が実在するようであるが、これに対応する特定の島や土地はない[1]。オードリー牧師は、マン島とイギリス本土の間に位置する「ソドー」という名前を持つ架空の島こそが、物語のための完璧な舞台環境であると考えた。

[1]
「ソドー・アンド・マン教区」のSodor の起源は、「南の島」を意味するノルド語のサドレイヤル(Sudreyjar)あるいはサドレイス(Sudreys)である。中世にはマン島やヘブリディーズ諸島などの島々を指す呼称で、オークニー諸島・シェトランド諸島など「北の島」と対比されるものであった。1154年、マン島を含む「ソドー」の島々を管轄する「ソドー教区」が設立されるが、その後の変遷により教区の管轄はマン島地区のみとなった。この過程でかつての「ソドー」の意味も失われ、16世紀初頭には、「ソドー」がマン島そのものを指すものと考えられたり、マン島西岸・ピール (Peel, Isle of Man) に所在する陸繋島(マン島の歴史的な中心地で、かつては王城が置かれ、現在も司教座聖堂がある)・セントパトリック島 (St Patrick's Isle) を指すものとみなされたりするようになった。マン島を管轄する教区の名は「ソドー教区」「マン教区」「ソドー・オア・マン教区」と揺らぎが生じたが、17世紀後半以降「ソドー・アンド・マン教区」となった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c5/Kingdom_of_Mann_and_the_Isles-en.svg

マン島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B3%B6
概要
法的にはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の一部でもなく、イギリス連邦 (commonwealth) の加盟国でもなく、自治権を持ったイギリスの王室属領 (Crown dependency)である。通貨はマンクス・ポンド。マンクス銀行により独自の通貨が発行されている。為替レートはイギリスポンドと同じ。イングランド銀行、スコットランド銀行などで発行されたイギリスポンドも国内で問題なく通用する。外交・軍事はイギリス王室に委ねるという法律がある。公用語は英語。マン島語は20世紀初頭、最後の日常的な話者が亡くなったが、1970年代以降、言語復権運動から現在は約1700人のマン島語識者(自己申告)がいる。イギリスからの独立意識の高いマン島では、英語に次ぐ公用語として位置づけられ、国民にはマン島語による教育の機会も与えられている。

行政、法律
イングランド法のベースとなった独自の法律を持ち、立法権を持つ立法議会と下院、行政権を持つ政府がある。法案は英国女王またはその代理である総督によって裁可される。外交と軍事は英国政府に委任しており、その代金を毎年支払っている。


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