したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

西洋史

112とはずがたり:2019/11/18(月) 14:33:45
これhttp://www014.upp.so-net.ne.jp/van/my_work/report20101029.pdfを読んでて
>筆者は経済史家ドゥ・フリースの「勤勉革命」に注目しています。ドゥ・フリースはプロト工業化論など多様な変化を近世革命と呼べるような一連の地域史的変化として整理した上で勤勉革命をその中心に位置付けています。しかしドゥ・フリース説に対応するような家族史の実証研究はないのが現状です。
という文章に突き当たる。

一寸今興味持ってる事象である。このドゥ・フリースとやら,誰やねんと思って調べてみたら,なんとこの人じゃねーか!!

最初の近代経済―オランダ経済の成功・失敗と持続力1500‐1815
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784815806163

この本持ってるわ。まあさらっとしら目を通してないけど。

で,勤勉革命と云えば勿論速見先生だけど,速見先生の講演に触発されてフリースは提唱したみたい。
しかも岡田さんと親戚とわ,,

Wikiwand
速水融
https://www.wikiwand.com/ja/%E9%80%9F%E6%B0%B4%E8%9E%8D

勤勉革命

西欧の産業革命 (industrial revolution) に対し、速水は日本の江戸時代にも高い経済成長と経済の高度化が見られることを指摘した。西欧の産業革命では、労働資本比率において資本分が増加し、労働が節約される形を取った。すなわち人力を節約するために、たとえば農業では家畜を、工業では動力機関を使用する方向に変化した。一方日本の江戸期、農村における労働力としての家畜の使用は、時代が進むにつれ減っていたことを速水は明らかにした。すなわち労働資本比率において、江戸期の農村では資本比率分が減り、労働比率分、すなわちマンパワーが増加していったのであり、西欧の変化とは逆の動きである。このような変化にも関わらず、江戸期の農業生産は増加して行った。これは前述のように農民がより勤勉に働くようになったために起こった現象であるため、速水はそれを「勤勉革命」(industrious revolution) と名づけた[4]。1986年(昭和61年)に、講演で速水の話を聞いたヤン・ド・フリース (Jan de Vries) は、後にヨーロッパにおいても、産業革命に先立つ勤勉革命があったとしてThe Industrious Revolutionを書いた[5]。ド・フリースの勤勉革命論(Industrious revolution)は、その後、賛否を含む大きな反響を生んでいる。

親族

國學院大学元教授速水敬二の長男。敬二は京都大学哲学科の先輩にあたる哲学者三木清の義兄で、東畑精一の弟。三木の娘永積洋子東京大学名誉教授は従姉妹。融の伯父である東畑も、融同様、文化勲章を受章し学士院会員でもあった。なお東畑の長男・隆介は慶應義塾大学文学部教授であったので、従兄弟同士が慶應義塾大学の教授を務めていたことになる。また、岡田元也イオン社長、岡田克也衆議院議員は従甥。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板