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西洋史
102
:
名無しさん
:2018/11/22(木) 21:23:10
>>101
ロサガム北柱遺跡には4000〜5000年ほど昔の人々が建造した、巨石によって示された直径30mほどの広場が存在しています。広場の中央には空洞が作られており、その中には少なくとも580体以上の遺体が寄せ集まって埋葬されており、共同墓地として使用されていたと考えられているそうです。
農耕社会では共通の歴史や文化にもとづいて大きなモニュメントが建造され、家族を超えたコミュニティ全体の結束を強めていました。より大規模なコミュニティを作ることで、人々は技術や文化を大きく発展させることができますが、同時にコミュニティ内での格差が生まれやすくなるのも事実です。
by Katherine Grillo
ところが、ロサガム北柱遺跡で発見された広場を作ったのは農耕民族ではなく、移動しながら牧畜を行う遊牧民だったとのこと。農耕民族以外がコミュニティを作り、大規模なモニュメントを建造していること自体も珍しいそうですが、ヒルデブランド氏らは「埋葬された遺体の状況からして、このコミュニティには社会階層らしきものが存在していた痕跡がない」ことに注目しています。
遺体はいずれも密接に寄せ集められた状態で空洞の中に収められていて、権力者らしき遺体だけが隔離された場所に納められているということもないそうです。また、大人や子ども、男性も女性も等しく手の込んだ装身具に身を包まれており、特定の遺体だけが華美に飾られている痕跡もありませんでした。
トゥルカナ湖周辺を含む東アフリカでは、メソポタミアやエジプト、アジアで組織的な農業が行われるようになった時代でも、人々が十分な食料を得るためには牧畜が最も適していたため、農耕社会が発達しなかったとのこと。ヒルデブランド氏は、「農耕社会が発達するに従って社会階層が形成され、特定の人々が権力を握って富を増やし、貧富の差や健康状態にも差が現れるようになりました。一方で、遊牧民が形成した社会にも同様の変化が現れたのかどうかは、非常に大きな謎です」と述べており、ロサガム北柱遺跡はこの謎を解くヒントになるかもしれないとしています。
by aocrane
ロサガム北柱遺跡で発見された広場がどのような役割を果たしていたのか、詳しいところは判明していませんが、遊牧民が集合してお互いの持つ情報を交換する場として使われていたのではないかと考えられています。周辺地域の情報をコミュニティに属するほかの遊牧民から仕入れることは、自分自身が食べるものを探すためにも、家畜を養うためにもとても重要なことでした。
また、共同墓地が作られて使用されていた時代、トゥルカナ湖周辺では降水量が減少し、トゥルカナ湖自体が小さくなっていくという環境の変化に遊牧民は直面していた可能性があるとのこと。それにもかかわらず、幼い子どもまで丁寧に装身具で飾られてから埋葬されていることから、コミュニティの構成員は末端まで大切にされていたことがわかります。
最終的にこの広場や共同墓地を作った遊牧民のコミュニティがどうなったのか、詳しいことは判明していません。共同墓地の使用は突然終了してしまいましたが、それは予期せぬことではなく、コミュニティによって予定されたものでした。コミュニティの構成員は遠くから石を何度も往復して運んできて、フタをするように共同墓地の上に敷き詰めていったとのこと。「その後にコミュニティがどうなったのかはわかりません」と、発掘調査に参加しているフロリダ大学の考古学者であるキャサリン・グリロ氏は語りました。
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