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西洋史

100とはずがたり:2018/11/09(金) 12:05:19
>>99
レバノン杉の商いで栄える
フェニキア人は、レバノン杉の交易によって栄えました。レバノン杉は名前に「スギ」が付いていますがマツ科の木です。この木は「香柏」と呼ばれ、すばらしい香りを放ちました。古代のレバノン地方に産したいろいろな硬材の中でも、レバノン杉はその耐久力と芳香によってとびきりの最高級品でした。古代の神殿の内装材として、これにまさるものはありませんでした。現在でも「レバノン」の国旗にはこのレバノン杉が用いられています。

旧約聖書によれば、栄華を極めたイスラエルのソロモン王は、フェニキアのツロの王ヒラムに相当な量の小麦とオリーブオイルを与えるかわりに、レバノン杉を手に入れたのです。このレバノン杉で、彼はエルサレム神殿を作りました。宮の内側の壁から床、そして天井にいたるまで、香柏の板を貼りめぐらし、その上を純金で覆ったのです。フェニキアの中でもツロは、森林の力を背景に、さかんにエジプトやイスラエルと交易し、繁栄を誇りました。

また、染色した贅沢な紫の布地も有名です。貴金属に鉱物、象牙、スパイス、ウールなど、様々な品物を取引きし、栄えました。

フェニキアの宗教
フェニキアの宗教では、男神バアルとその妻のアシュタルテを拝んでいました。フェニキアの王の名前にはたいてい「バアル」がつき、アドニバアル(わが主はバアルなり)、アビバアル(わが父はバアルなり)、バアルバザル(バアルの下僕)、アブダシュタルト(アシュタルテの下僕)といった名を名乗るほど、バアル信仰と結びついていました。

バアルに仕える人々はどのように神に求めていたのか、旧約聖書に書かれています。イスラエルの預言者エリヤとバアルの預言者がカルメル山で競い合いました。バアルの預言者たちは「剣や槍で自らの体を傷つけ、血を流し、激しく飛び回り、狂ったように叫び続けて」神にしるしを乞うた、とあります。

その「神」は、豊穣や海の平穏、安産などを約束する代わりに、幼児の生贄や神官との売春などを求める、神の仮面をかぶった悪魔の使いでした。つまり、フェニキアではバアル神、アシュタルテ神の偶像崇拝という「悪魔崇拝」を行っていたと言えます。

フェニキアに古くからあった宗教慣習に神殿での売春がある。とくにアシュタルテ信仰と結びついていた。キュプロス島キティオンで発見された前5世紀の碑文では、売春を行う男女の両方がアシュタルテ神殿の職員として列挙されている。ギリシアの歴史家ヘロドトスもキュプロス島にこの習わしがあったことを遠まわしに述べており、地元の女性たちが願掛けや神へのお礼のために自ら申し出たとしている。若い未婚の処女も参加していたとされるこの習わしは、キティオン、アマトゥス、パポスなどにみられるキュプロス島のアシュタルテ信仰の大きな特色だったようだ。

アシュタルテが身近な信仰の対象だったことは、他のタイプの裸体の女性の座像や立像からも知られている。フェニキア領内では、天然の洞窟や岩屋にもアシュタルテが祀られた。アドゥルンの南、ワスタの岩屋の壁は女性性器を表した落書きで飾られており、この女神の民間信仰のかたちをありありと伝えている。アシュタルテを祀ったたくさんの洞窟が、のちに聖母マリアの神殿に発展した。
聖母マリアの像を拝むことは、もともとこのような悪魔崇拝が元になっていることを忘れてはいけません。

フェニキアの宗教を引き継いだカルタゴ
カルタゴの経済にはもう一つ重要な産業がありました。奴隷の売買です。この人間の労働力の商いはフェニキア人から受け継がれました。

海賊行為も奴隷売買の有力な商路になった。フェニキア人は悪名高い人さらいだった。古い文献によると、不運な女性と子供がよくねらわれた。


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