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各種イノベーション・新発明・新技術など

458荷主研究者:2017/07/26(水) 22:44:21

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170715/CK2017071502000098.html
2017年7月15日 中日新聞
《経済》光産業 浜松に輝け
◆フォトンバレー 静大に育成拠点

 静岡県が掲げる新産業集積クラスターの一つのフォトンバレーは、センサーやレーザーといった光と電子技術に関連した産業を県西部に集めて次世代産業の育成を目指す。四月に具体的なプロジェクトを推進するフォトンバレーセンターが静岡大浜松キャンパスに開所し、取り組みが活発になりはじめた。浜松の光産業の系譜と現在の状況を探った。

◆企業に技術導入支援

 フォトンバレーセンターは浜松市や湖西市でセミナーを開き、企業に光技術導入による生産性向上などを提案している。企業の交流の場となるオプトネクスト浜松が五月に発足し、これまで光技術の研究や勉強会に参加した地元二百五十社のネットワーク構築を目指す。センターと連携し、光技術による企業の課題解決や新事業につなげる。

 静岡大と浜松市は二〇一六年に文部科学省の事業採択を受け、新しい内視鏡開発など医療分野でのメディカルフォトニクス研究を進めている。この事業のキックオフシンポジウムが六月下旬に浜松市で開かれ、浜松ホトニクスの晝馬(ひるま)明社長は「静岡大は日本の光技術発祥の地で、もともと最先端だった。その栄光をもう一度取り戻したい」と力を込めた。

 浜松の光技術は一九二六年、浜松高等工業学校(現静岡大)の高柳健次郎氏(一八九九〜一九九〇年)が世界で初めてテレビに「イ」の字を映し出したことに始まる。高柳研究室の門下生が浜ホトを創業した。

 光技術が地域に広がりだしたのは、バブル崩壊後。輸送機器の工場の海外移転が加速する時代だった。空洞化が懸念される中、当時の浜松商工会議所の副会頭だった浜ホトの晝馬輝夫会長が、レーザーを活用した新産業育成を提案した。九八年に研究会が発足し、七十社が参加した。二〇〇〇年には、浜ホトを中心にしたレーザー開発で科学技術振興機構(JST)から地域結集型共同研究事業の採択を受けたのを機に、国の事業活用を繰り返して研究を進め、フォトンバレーの名が浸透し始めた。

 静岡大、浜松医科大、光産業創成大学院大、浜ホトの四者は一三年、光技術や研究の拠点を目指す「浜松光宣言」を発表。産学連携を強めた四者の枠組みが現在も、技術研究や企業への応用で中心的な役割を果たしている。静岡大と浜松医科大は一八年に光医工学の共同大学院を設置する。

 取り組みを続けるうち、工作機械のエンシュウ(浜松市南区)はレーザー加工機を製品化するなど企業での光技術応用が進んだ。光産業創成大学院大や静岡大から三十六社のベンチャー企業が生まれ、集積が始まりつつある。浜ホトの晝馬社長はやらまいか精神を説き、「新しいことにリスクはあるが、何もしないことによる将来のリスクはさらに大きい」と話している。

(山田晃史)


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