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B級News Watch ためされる大地
573
:
小説吉田学校読者
:2008/03/01(土) 19:03:20
【ためされる昔の乗り物 連絡船】
新幹線や飛行機では海鳴りは聞こえないし、空調が効いて息でガラスも曇らない、凍えそうな鴎見つめる暇もない。
変わる津軽の海 連絡船廃止、トンネル開業20年
http://www.asahi.com/life/update/0301/TKY200803010144.html
津軽海峡を渡った青函連絡船が廃止され、海底の青函トンネルが開業し、13日で20年になる。主役が交代した津軽の海には、所要時間がかつての半分の高速フェリーが昨年就航し、北海道新幹線も2015年度の開業を目指して工事が進む。今年は連絡船開業100年の節目でもあるが、海峡の風景は様変わりしている。
リンゴや古着が所狭しと並ぶ市場を抜けると、そこは船のデッキ。マフラーを流行の真知子巻きにした女性が立つ――。
昭和30年代、青森駅周辺の風景だ。東京・お台場「船の科学館」に係留されている青函連絡船・羊蹄(ようてい)丸に、そんな場面が再現されている。
88年3月13日に最後の運航を終えた羊蹄丸は、96年からお台場で余生を送る。「連絡船が日本の経済成長を支えたことをもっと知ってもらいたい」と、案内ボランティアの西沢弘二さん(68)=千葉市在住。
西沢さんは、連絡船の檜山(ひやま)丸の船長だった。青森県弘前市出身で、小学校の修学旅行で乗った洞爺丸が、船へのあこがれの始まりだった。その3年後の54(昭和29)年、洞爺丸は台風で遭難、空前の大惨事となる。それでも思いは断ちがたく、「やめれ、やめれ」と止める母を振り切って乗組員になった。
連絡船人生は、そのまま「時代」も映してきた。高度成長期は集団就職の「金の卵」を運んだ。自衛隊の護衛艦に前後左右を守られながら札幌冬季五輪(72年)の聖火を運んだのは、忘れられない思い出だ。
東京から約700キロ離れた函館の旧桟橋には、やはり引退した摩周丸がつながれている。老朽化は進むが、操舵(そうだ)室や無線通信室が見学できる。
「連絡船がなければ北海道の発展はなかった。郷愁からではなく、摩周丸は残すべき産業遺産です」。NPO法人「語りつぐ青函連絡船の会」の副理事長の白井朝子さん(56)は語る。
同会は4月から摩周丸の指定管理者となり、若い世代に連絡船の「航跡」を伝える活動をさらに活発化させる。
100年前に旧国鉄が第1船の比羅夫(ひらふ)丸を就航させたのが3月7日。同会や西沢さんらは同日午前10時、羊蹄丸と摩周丸、青森港で文化交流施設になっている八甲田丸で同時に汽笛を鳴らす。
●フェリーVS.新幹線主役争い
津軽海峡を渡る交通手段は大変わりしそうだ。青函トンネルを利用し、新青森―新函館間を最短34分で結ぶ北海道新幹線は2015年度に開業の予定だ。JR北海道が頭を痛めているのが、青函トンネルの維持・管理だ。海底下を通るため、施設は80〜90%の高湿度にさらされ傷みやすい。
99年度には大規模な改修も始まった。国とJRが投じた08年度までの改修費は約110億円。
JR北海道は青函トンネルを所有する鉄道・運輸機構に年間約3億6000万円の使用料を支払っている。通常の保守・維持費も年間6億円ほど。JR北海道函館支社の小笠原憲生支社長は「新幹線が開通すると、首都圏はもちろん北関東や南東北の人たちの利用が見込める」と、大幅な旅客増に期待をかける。
一方、新幹線のライバルになりそうなのが昨年9月に就航した高速フェリー「ナッチャン レラ」だ。高速フェリーとしては世界最大級の定員800人。青森―函館を約2時間で結ぶ。東日本フェリー(本社・函館市)が「高速化こそフェリーの生き残る道」と90億円で導入した。
利用者は昨年9月から12月まで約11万人。北海道観光が本格化する大型連休には2隻目を就航させる。
北海道運輸局によると、06年度の北海道―本州間の旅客輸送は、8割以上を占める航空機の一人勝ちだ。青函トンネル開業時に約300万人が利用したJRは、173万人に落ち込み、船は7.7%にとどまる。
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