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B級News Watch ためされる大地

486小説吉田学校読者:2007/11/23(金) 09:51:52
>>485
いわゆる「つくば母子殺害」状態なんでしょうか。最近TV見てないからよく分からない。

【ためされる大地 八幡】
京都にはこういう寺があるんですか。その名も「らくがき寺」。「洛」と掛けているのかも・・・

勝手に関西世界遺産 登録番号144 らくがき寺(京都・八幡市)
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/kansaiisan/OSK200711220018.html

 京都の南、石清水八幡宮の鎮座する男山のふもとに、らくがき寺「単伝庵(あん)」という寺がある。
 その名の通り、寺の堂内に落書きできるという、ユニークな寺である。なんでもありの昨今、そのぐらいでは驚かないという人もあるかもしれないが、ここは約50年も前から落書きオッケーだったというから年季が入っている。
 単伝庵の創建当時の経緯など詳しいことはわかっていない。今から250年ほど前、京都・妙心寺の単伝和尚が、八幡市の神原にあったものを現在の場所に移築したとされ、その後時代を経るうちに、一時は荒れ寺となっていたが、先代の堀尾成仙(じょうせん)住職が57(昭和32)年に再興した。
 寺には、石清水八幡宮の改築に際して、楠木正成が寄進したクスノキの残り株から刻まれたとされる、走り大黒天像が伝わるが、今にも走り出さんと左足を前に踏み出しているこの独特な大黒さまを収めるお堂が、当時なかった。そこで、托鉢(たくはつ)によって59年に大黒堂を建立。このとき、多くの人々のおかげでできたのだから、そのご恩返しにということで、大黒さんから見える堂内の壁に、願い事を書いてもらうようにしたのが、事の発端だそうである。
 以来約50年、堂内には願い事の書き込みが絶えることなく、今ではすっかりらくがき寺の名が定着した。この先代住職、かなり個性的な人物であるようだ。当時としては画期的な、体に障害のある子供たちを集めてのサマースクールを開催したり、かと思えば、寺に熱いのと水を張ったのとふたつの五右衛門風呂を用意して、交互に入る延命地獄風呂なるものを造ってみたり、朝早くから勤行をマイクで拾ってスピーカーで近隣にお経を流したりして、ありがたがられたり困惑されたりしていたという。そんな自由闊達(かったつ)な発想が、寺に落書きさせるという大胆なアイデアも生んだのだろう。
 堂内の落書きは、毎年暮れに白く塗りなおされる。歳末に人々の願いをのぞきに来るもよし、新年の真っ白な壁に願いを書きつけるもよし。ちなみに私が訪れたときは、ざっと数えて800以上の書き込みが壁を埋め尽くしていた。願い事は家内安全や合格祈願、商売繁盛に病気平癒などさまざまだが、最近はかなり具体的な書き込みが多いのだそうだ。たしかに、「来年の夏までにあと10キロやせられますように……。でも胸はCからDの間で」なんて、具体的すぎてつい笑ってしまう。どうか叶(かな)いますように。(文・宮田珠己<エッセイスト> 写真・立花常雄)
○300円 時代映す広場
 落書きの歴史は古い。約1900年前に火山の噴火で埋まったイタリアの都市ポンペイでは、壁などに多数の落書きが見つかった。日本では、奈良県明日香村で出土した藤原京時代(694〜710年)の井戸枠の側板に落書き風の「道」などの文字や性器などの絵が見つかっている。
 こうした古い落書きは、当時の様子を知る史料的価値があるようだが、今の時代、寺社など歴史的建造物に落書きをするなどもってのほかだ。そんな中、単伝庵の落書きは、300円のらくがき祈願料を出せば、白壁に堂々とかける。よくできた方法だ。
 開始から約50年、落書きから時代や人々の変化が読み取れる、と堀尾行覚住職(58)は言う。高度成長期の落書きの写真を見ると、「オバケのQ太郎」のマンガや書き殴って読めない文字が目立つ。今は、「ゲームがいっぱい買えますように」などと整然と書いている。「昔は小さい子供連れが多く、親が自由にかかせていた」と堀尾住職。かつてより世知辛い世の中になったせいかも知れないが、落書きにはもっと夢や自由を、と感じてしまう。


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