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B級News Watch ためされる大地
222
:
小説吉田学校読者
:2007/01/20(土) 21:13:32
【ためされる大地 ためされる大地】
1・17、あの日、私はセンター試験終了翌日で、答え合わせをした高校の帰り、夕方、平駅(頑固にこういいます)のTVから紺色のスーツの村山首相が記者会見している映像が飛び込んできた。すわ「村山退陣」かと思って家に帰ったらびっくりしました。
勝手に関西世界遺産 登録番号100 野島断層(淡路島)
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/kansaiisan/OSK200701120015.html
地震の記憶は、まず私の身体の中にある。あの日の夜明けに、突然激しく揺さぶられた感覚は、いつまでたっても身体を出ていかない。いつでもどこでも、それを甦(よみがえ)らせることができる。
しかし、その直後からとった行動、目にしたもの、耳にしたもの、口にしたものは、思い出の断片でしか残っていない。
それが実際の体験だったのか、はたまたメディアが伝えた映像だったのか、わからなくなってしまったものさえある。
私の身体にとどまる記憶は兵庫県南部地震、断片と化した思い出は阪神淡路大震災にまつわるものだといえるかもしれない。
地震は瞬時に終わるが(信じ難いことに地震はわずか二十秒間ほどだった)、震災はそれから延々と続いた。今なお、傷の癒えない人もいる。
これまでの12年にわたる復興は、阪神淡路大震災の痕跡を消し去ることでもあった。
壊れた町が生まれ変わるにつれ、記憶だけは風化させてはなるまいと、毎年1月17日になれば慰霊祭を執り行い、新聞やテレビは特集を組み、各地にたくさんの慰霊碑や記念碑を建ててきた。
主役はもっぱら記憶である。そこでは言葉や映像が行き交うばかりであって、あの地震の「実物」に向き合う機会は、実はほとんどない。
淡路島の野島断層は、それが叶(かな)う稀有(けう)な場所だろう。地震とともに出現した断層は、震災の痕跡というよりも、地震そのものである。何万年という長い目で見れば、断層は大地の変動のほんの一過程に過ぎないが、その土地の上にたまたま築かれていた農地、農道、民家は、あの朝に、確かに破壊されたのだった。
ここは広島の原爆ドームに似ているなと思った。天災と人災の違いはあるものの、破壊されたものを永久に保存しようとする試みが共通しているからだ。
すでに壊れているものを、復元するのではなく、そのままの姿で未来に伝えるという試みは、はじめから矛盾を抱えて、至難の業である。
すっぽりとドームに覆われているから風雨はしのげるものの、震動、乾燥、アリとダンゴムシ、雑草、見学者の落とし物といったいくつもの「敵」が、断層を破壊しようと、次から次へと襲いかかってくるのだそうだ。
定期的に霧を撒(ま)き、草を抜くのではなく刈り取り、落とし物は鳥もちを使って拾い上げるという。こんなふうにして、地震の「実物」は守られている。
(文・木下直之〈東大教授〉、写真・小笠原圭彦)
○被災者から学ぶ心得
断層を後世に伝える野島断層保存館は淡路市の北淡震災記念公園(0799・82・3020)にある。保存館には断層保存ゾーンのほか、敷地を断層が横切る民家「メモリアルハウス」や震度7の揺れを体験できる「震災体験館」などの施設もそろう。
メモリアルハウスでは週2回、地元ボランティアが被災経験を見学者に話している。
城本正守さん(76)もその一人。家族は無事だったが、自宅は全壊。近所に亡くなった人もいた。「命は大切だ、大切にしないといけない」という思いを伝えたいと、自身の経験と、震災後に学んだ地震の時の心得を話す。
あわてて階段を下りたり、家の外に出たりしない。まずは机の下に隠れて。家族と落ち合う場所を決めておいて。そして必ず付け加える。
「島ではあの人はここで寝ている、この人はこの部屋で、と近所の人が知っていたから、がれきの下からたくさんの人を助け出せたんです」
田舎ならでは付き合いの深さが力を発揮したという。ご近所との縁が薄まる時代。考えさせられた。
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