[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Tohazugatali Book Review
67
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/05/02(水) 23:40:15
おかやま大研Q:獄門島の舞台「笠岡諸島」 戦争体験がリアル /岡山
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/okayama/news/20070502ddlk33040708000c.html
「備中笠岡から南へ七里、瀬戸内海のほぼなかほど(中略)そこに周囲二里ばかりの小島があり、その名を獄門島と呼ぶ」という有名な書き出しで始まる横溝正史著「獄門島」。緻密(ちみつ)で論理的なトリック、独創的な見立て殺人で、金田一耕助シリーズの最高傑作との呼び声が高い。舞台となったのは笠岡諸島だ。想像力と作家としての意欲を注いだ「獄門島」には正史のさまざまな思いが詰まっている。文献を手に獄門島の舞台を訪ねた。【石戸諭】
◇俳句用い、独自の世界
■「獄門島」誕生□
正史は太平洋戦争末期の1945年4月から約4年間、吉備郡岡田村字桜(現在の倉敷市真備町)に疎開していた。そこで元青年学校の教員、加藤一(ひとし)さんらと、岡山の因習や事件などについて語り合ったことが後の創作につながる。
正史にとって推理小説は「米の飯」だったが、戦争中は満足に書くことができなかった。戦後は一転、とにかく書いて推理小説への飢餓感を満たそうとする。金田一が初登場する「本陣殺人事件」を書き上げたのは46年末。48年にはシリーズ第2作となる「獄門島」が誕生した。
作品に懸ける意気込みを正史はこう記している。「米の飯だけでは物足りなくなっている。そこに程よい味つけと、出来れば食欲を刺激するに足る副食物さえ欲しいと思っている」。終戦直後、復員船の中で、獄門島出身の戦友、鬼頭千万太は「三人の妹が殺される…。おれの代わりに獄門島へ行ってくれ」という遺言を金田一に残し、マラリアで死んだ。本家、分家の対立、さまざまな因習が残る漁村で起きた奇怪な連続殺人……。金田一の名推理がさえる「獄門島」は、副食物どころか、絶妙な味付けの大ごちそうが並んだ傑作となった。
□金田一の戦争体験■
一見、荒唐無稽(けい)な金田一シリーズだが、戦争体験の描写が作品を支えている。金田一は、大陸から南方の島を転々として「終戦時はニューギニアのウエワクにいた」という設定だ。「獄門島」では、他にも登場人物が、おそらく広島県の大久野島で「(毒ガスを秘密に作っていたため)毒ガスの始末に手を焼いている」という話をしたり、「本陣殺人事件」で知り合った県警の磯川常次郎警部が笠岡諸島の「海賊」を取り締まりに来たりと、随所に当時の岡山の話題が反映されている。
正史自身、戦争協力を求められたら死のうという決意で青酸カリを隠し持ったり、戦争中に積極的に反対を唱えなかったことを悔いていた。金田一についても、戦争で「人生でいちばん大事な期間を空白で過ごして来たのである」と書く。自分が生み出した若き名探偵への思い、戦争に駆り立てられた人へのまなざしは優しい。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板