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Tohazugatali Book Review

504とはずがたり:2018/11/09(金) 19:10:08
>>503
『ロリータ』の中にも、「私がドリーに対してやったことは、1948年に50歳の修理工のフランク・ラ=サールが11歳のサリー・ホーナーにやったことではないか。たぶん」という文章が出てくるので、ナボコフが事件をよく知っていたのは明らかだ。

証拠になるナボコフのメモも残っている。

サラ・ワインマンは、「サリー・ホーナーのことを知っていたからといって、『ロリータ』の壮麗さやナボコフの斬新な創作力が損なわれるわけではない」と、ナボコフの達成を批判するためにこの本を書いたのではないことを強調する。

だが、そのうえでワインマンは非常に重要な点を指摘する。

『ロリータ』はすばらしい文芸小説かもしれない。だが、ナボコフがあまりにも優れた作家であったために、ハンバートの視点での「大人の男を誘惑する少女」のイメージが事実のように浸透してしまった。

けれども、多くの男性が性的なファンタジーの対象として読んだ「ロリータ」の影には、人生を無残に破壊された実在の少女がいたのだ。

11歳のサリーは、無垢な少女として生きる権利を50代の男に奪われた被害者だ。2年も性的虐待を受け続け、救出されて自宅に戻った後でも好奇と侮蔑の視線にさらされて、二度と「ふつうの女の子」に戻ることを許されなかった。利発で芯が強い少女だったのに、その才能を花開かせることなく15歳で短い人生を終えた。

いったんサリーのことを知ると、以前のように『ロリータ』を読むことが難しくなる。だが、フィクションを読むときに、立ち止まって現実を考えることも必要なのかもしれない。

特に日本では漫画などで幼い少女に見える者を露骨な性的対象にする「ロリコン」ものが多い。わずかだが、サラ・ワインマンの『The Real Lolita』にもその現象が書かれている。

日本人として、この現象をどう捉えるべきなのか。

実存したロリータの短い人生を読んでから考えてみてほしい。


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