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Tohazugatali Book Review

22小説吉田学校読者:2006/08/23(水) 06:40:19
>>21
内山書店はつぶれないで〜〜

保守系の工藤さんですけれども、ゾルゲ事件のところは面白かったです。

『われ巣鴨に出頭せず』工藤美代子著
http://www.sankei.co.jp/news/060813/boo015.htm

 最近では、ユン・チアン著『マオ 誰も知らなかった毛沢東』に次いで知的関心を刺激された。公家さんの代名詞のように「弱い人間」だったとの近衛文麿評を覆す、説得力のある筆の運びに、しばし時を忘れる思いをした。近衛の誕生から始まる物語は、昭和天皇を取り巻く近衛、木戸幸一、東条英機の3人が繰り広げる心理的な葛藤(かっとう)に及んで熱を帯びてくる。圧巻は第12章の「ハーバート・ノーマンと都留重人」であろう。敗戦後の近衛と木戸の運命を左右するのが、カナダの外交官で、1952年に米上院司法委員会の報告によってソ連のスパイの可能性ありとの疑いをかけられたノーマンであり、ハーバード大学以来の親友であった都留(一橋大学教授)だという。
 戦いが終わって厚木飛行場に降り立ったマッカーサーにいち早く会った近衛は、2度目の会見で憲法改正案を作成するよう要請されたが、そのあと総司令部(GHQ)は急に態度を改め、幣原首相に憲法改正の指令を出す。日米両国の新聞が近衛に批判的だったことがGHQの態度豹変(ひょうへん)の原因だとされているが、著者はGHQで対敵諜報(ちょうほう)部の分析課長だったノーマンが「戦争責任に関する覚書」で木戸に軽く、近衛に重い責任を問う文章を書いたと述べている。
 戦前、コミンテルンがいかなる対日工作を行ったかの全貌(ぜんぼう)はまだ不明の点が多いが、近衛が食い止めようとした支那事変拡大の背景にはこのソ連の機関が蠢(うごめ)いていた。近衛の朝食会を利用した尾崎秀実は、ゾルゲと組んで驚くべき諜報活動を行っていたのは周知のとおりだ。日本の敗色が濃くなった1945年2月に、近衛は上奏文で内外における共産主義の拡大に対する懸念を述べた。ノーマンが近衛に一太刀浴びせようとした理由は、この近衛の上奏文にあったとの指摘は暗示的である。
 著者はロンドンのナショナル・アーカイブスで探した近衛の尋問録を紹介している。「強い近衛」が事実をもって証明されている。(日本経済新聞社・2310円)


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