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Tohazugatali Book Review
205
:
荷主研究者
:2011/11/17(木) 23:19:07
『楡家の人びと』は何度も読んだし、どこか陰のあるどくとるマンボウシリーズも好きだった。宮脇俊三氏と交遊(家が隣)があったので一層親近感を感じたものだ。ご冥福を祈ります。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111027t75021.htm
2011年10月27日木曜日 河北新報
北杜夫さん死去 東北の友人ら慕われた人柄しのぶ
亡くなった北杜夫さんは東北大医学部で学ぶなど、東北にゆかりの深い作家だった。父親は上山市出身の歌人斎藤茂吉(1882〜1953年)。東北の作家や友人からも、人柄や功績をしのぶ声が上がった。
旧制松本高、東北大医学部の同級生で、福島県いわき市の医師宇留賀一夫さん(82)は「育ちの良さを感じさせる人付き合いのいい男だった」と語る。
高校では同じ卓球部で、ともに全国大会に出場。北さんはその時代を「どくとるマンボウ青春記」につづっている。宇留賀さんは「彼は主将で面倒見もよかった。多くの後輩が彼を慕って東北大に進学した」と言う。
大学入学後の数カ月間は同じ下宿で過ごした。「夜には詩を作ったり、本を読んだりしていた。講義に出るのはいつも昼近くだったが、試験はほとんど合格していた」
昨冬、上京した際に車いすに座った北さんと話したのが最後となった。「腰が悪いようだったが、まだまだ長生きすると思っていた」と惜しむ。
北さんと同じく大仏次郎賞を受賞している仙台市の作家佐伯一麦さん(52)は愛読者だ。「初期の作品は思春期特有の叙情を表現していた。習作の時期には北さんの昆虫や自然に対する姿勢、観察眼などに影響を受けた。日本文学にユーモアを巧みに取り入れた作家だった」と評価している。
山形県上山市の斎藤茂吉記念館の片野達郎館長(84)は「最近は2年に1度ぐらい、上山を訪ね、茂吉の墓参りをしていた。近いうちにまた上山に来られると聞いていたのに」と残念そうに語った。
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