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Tohazugatali Book Review

200とはずがたり:2011/08/02(火) 09:26:31

小松左京さん:評伝 「小松コンピューター」の異名持つ
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110729k0000m040028000c.html

博識ぶりから「小松コンピューター」の異名を取った小松左京さん。実際のコンピューターへの興味も強く、1981年春には他の作家に先駆けて東京都内に最新鋭のコンピューターやワープロを備えた事務所を開設した
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/book/20110729k0000m040031000p_size5.jpg

 ベストセラー小説「日本沈没」で世界に衝撃を与える一方、博覧会の総合プロデューサーとして手腕を発揮した小松左京さん。該博な知識を正確に駆使する才能は、「小松コンピューター」の異名でよく語られた。

 小松さんの多彩な才能が目立ち始めたのは、旧制神戸一中(現兵庫県立神戸高校)時代からだ。俳優の高島忠夫さんらと軽音楽バンドを結成するかたわら、校内の文芸誌にユーモア小説を寄稿し、演劇部も作った。そして京大進学後、高橋和巳らと出会い、同人誌に参加したことから才能の芽がふきだした。

 ペンネームの「左京」は諸説ある。「左の京大生やったから」「京大が京都市左京区にあるから」とか「飯をくえんようになったら、相方に右京と名づけ、漫才をするため」といって周囲をけむに巻いた。

 京大卒業後、やがて漫才の台本を書くようになるが、生活は食費にも事欠く貧苦の状態が続いた。妻の嫁入り道具だったラジオも質屋行きに。娯楽がなくなった新妻に読ませるために毎日、原稿用紙に少しずつ書いてはちゃぶ台に置いて出勤したのが「日本アパッチ族」になった。

 SF作家として一躍売れっ子になった小松さんは八面六臂(ろっぴ)の活躍をする。宇宙科学から国際政治まで好奇心旺盛で、頭の回転の速さは誰もが驚かされた。大学の専攻はイタリア文学だったが、世界の文学はもとより哲学、考古学、歴史学などを巡る読書量はすさまじく、スケールの大きな思考力を見せてくれた。

 有人宇宙船、スペースシャトルが初めて宇宙の旅をした1981年4月のこと。地球に生還する様子を伝えるテレビ中継を小松さんの事務所でともに見た。科学技術と背景の国際政治を軽妙に解説していただき、心配りのこまやかさにも感激した思い出がある。

 阪神大震災の被災実態をもとに毎日新聞で連載「小松左京の大震災’95」を始める時、興奮まじりに「この現実をしっかり受け止めたい」と語っていた。

 大阪では大阪弁を、東京では共通語を使いこなし、サービス精神は旺盛だった。SF界の大御所といわれ、デビュー作「地には平和を」は直木賞候補になった。その本質は文学の人だった。森羅万象に多彩な才能をフルに発揮した小松さんが思い残したことは何だろうか。大酒を飲み、たばこを次々とふかす姿が懐かしい。【元毎日新聞論説委員、池田知隆】

毎日新聞 2011年7月28日 19時17分(最終更新 7月28日 21時31分)


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