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人口問題・少子化・家族の経済学

304千葉9区:2009/06/11(木) 23:54:31
http://newsweekjapan.jp/stories/us/2009/04/post-5.php
同性婚禁止と戦う米記者の告白
How Getting Married Made Me an Activist

同性のパートナーと結婚した1週間後、カリフォルニア州の住民投票で同性間の結婚が禁止になった。 この出来事で立ち上がった記者の「権利のための戦い」とは

2009年04月07日(火)11時50分
デービッド・ジェファソン(元西海岸総局長)

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[2008年12月24日号掲載]

 カリフォルニア州住民投票「提案8号」は、私の人生を変えた。

 11月4日のアメリカ大統領選投票日まで残り1カ月を切った10月初め。大統領選挙と併せて実施される住民投票で、提案8号への支持が広がっている状況が見えてきた。この提案が可決されれば、カリフォルニア州では同性間の結婚が禁じられる。

 私は7年来のパートナーのジェフ・ベクトロフに言った----カリフォルニアの有権者に「誓わせない」と通告される前に、結婚の誓いをしたほうがよさそうだ、と。

 私たちは、ウキウキと結婚式の準備を始めた。ロサンゼルスで一番のベーカリーで、3段重ねのモカチップのウエディングケーキを注文。式で流すフランク・シナトラの曲も準備した(「花嫁」うんぬんという歌詞の定番の結婚式ソングは使えないので)。

 生花店に行ってコサージュの花を選び、高校時代の女友達にテーブルの飾りつけを頼んだ。ニューズウィークの同僚の映画批評家デービッド・アンセンとその友人のメアリー・コーリーは、私たちの大好きな映画『ティファニーで朝食を』のセリフを朗読してくれることになった。

 そして、10月25日。ジェフが母親と一緒に通路を歩き、その少し後ろを私は86歳の父親と93歳の母親に付き添われて歩いた。思いがけずあふれ出しそうになる涙をこらえるために、唇をぎゅっとかみしめた。この日集まってくれた100人の親しい人たちの顔を見ると、みんなのほおにも涙が伝い落ちていた。

 私たちには支えてくれる人が大勢いた。それに、大統領選ではバラク・オバマが勝利に向けて突き進んでいた。よもやリベラルなカリフォルニアの住民が私たちの結婚を「伝統的結婚」への脅威とみなすとは、本当のところ思っていなかった。

 しかし、私たちは世界が見えていなかった。私たちに「ホモ」と罵声を浴びせる人がほとんどいなくなっただけなのに、社会に受け入れられたと思い込んでいた。

 11月4日、カリフォルニアの住民投票で、「結婚は男女間に限る」とする州憲法修正案(提案8号)が可決された。5月の州最高裁判決で認められたばかりの同性婚の権利は再び否定された。

 私たちのようにこの数カ月の間に婚姻手続きをした1万8000組の同性カップルは、婚姻が無効になるのではないかと怯えながら過ごしている。

戦いの歴史の教訓を学べ
 私たちの手続きをした裁判官は「大丈夫だ」と言う。法律の事後適用は合衆国憲法第1条で禁止されているからだ。建国の父たちが合衆国憲法を(州の憲法と違って)変更しにくくしておいてくれたことには、感謝の言葉しかない。

 アメリカ人はみんなそうだが、この私も建国の父たちの理念を尊重するよう教育を受けた。「すべての人間は平等につくられている」という独立宣言はその代表格だ。学校で教師が独立宣言を引用したときは、とくに誇らしかった。この宣言を書いたのは、大昔に死んだトマスという名前の親戚だからだ(私の名字をご覧あれ)。

 皮肉なことに、私たちの結婚の権利を剥奪するうえで中心的な役割を果たしたのは、私と父が一族の歴史をたどって偉大な祖先に行き着くのを助けてくれたのと同じ団体だった。その団体とは末日聖徒イエス・キリスト教会、つまりモルモン教会だ。提案8号推進運動に投じられた資金の半分近く、金額にして1500万ドル以上は、州の人口の2%を占めるにすぎないモルモン教徒の寄付だった。


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