したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

人口問題・少子化・家族の経済学

2220とはずがたり:2022/04/27(水) 17:43:16
>>2219
ここで1つたとえ話をしたいと思います。とある2人の人物に10万円をあげるとしましょう。1人は年収1000万円で、もう1人は年収200万円です。比較のために、この2人は年収以外の性別、居住地域、家族構成などの条件はすべて同じと仮定します。

もらう額は同じですが、きっと年収が低い200万円の人の方が10万円もらったことに対する喜びを大きく感じる(幸福度や満足度は高い)はずです。逆にいうと、年収1000万円の人が10万円もらったことに対する喜びは年収200万円の人より小さい(幸福度や満足度は低い)といえます。

もしこの2人が暮らす国で、幸福度や満足度が低い人の生活を改善させようと政策が進んだとして、為政者が「先日もらった10万円に対する満足度が低い人に優先的にお金を配る」という政策を採った場合、年収200万円の生活が苦しそうな人よりも、年収1000万円の人が優先的に支援を受けることに結びつきます。これは極端な例ですが、ここで示したかったのは、満足度や幸福度だけを見て判断をしていては、本当に必要な人に支援が届かなくなってしまう危険性がでてくるということです。

じつは、このように満足度や幸福度だけをみて人々の暮らしぶりを判断することの危険性については、倫理学などにおいて専門的な議論が積み重ねられてきました。以下では、そうした議論で用いられる「適応的選好形成」という考え方を紹介したいと思います。

すっぱい葡萄

適応的選好形成とは、社会学者のJ・エルスターが、自著『酸っぱい葡萄 合理性の転覆について』(原著1983)のなかで、満足度や幸福度によって生活の質を測ることを批判する際に用いた用語で、イソップ寓話「すっぱい葡萄」によって説明されています。

「すっぱい葡萄」は有名な話なのでご存じの方も多いでしょう。主人公はお腹を空かせた狐です。狐はたわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけ、葡萄を食べようとして懸命に跳び上がります。しかし、実はどれも木の高い所にあって届きません。何度跳んでも届くことはなく、最終的に狐は怒りと悔しさから、「どうせこんな葡萄はすっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった??。

つまり、欲しいものが獲得できないとわかると無意識のうちにそれへの欲望が消えてしまう現象を示唆する寓話と言えます。

適応的選好形成は、この寓話が示すように、人はある状況に置かれたときその状況に「適応」して「選好」(何をもって満足と感じるか)を形成してしまう可能性があることを示す概念です。この概念を用いて考えると、劣悪な環境にいる人は、その環境に適応することで些細なことでも満足度を高めてしまうかもしれません。…


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板