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人口問題・少子化・家族の経済学
1638
:
とはずがたり
:2017/04/08(土) 18:14:47
所沢が「埼玉の人口争奪戦」独り負けの理由 急減した人口は「入間や狹山」に流出していた
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-166025.html?page=1
04月04日 06:00東洋経済オンライン
本連載の「『所沢と多摩』で30代が急減した深刻な事情」でも紹介したように、国勢調査によれば2005年、あるいは2010年から、2015年にかけて郊外住宅地の人口減少が始まっている。
人口減少の多くはまだ高齢者の死亡によるものだが、地域によっては、20?40代の人口が減り始めているところが現れてきた。
逆に中央区などの都心ではその年齢の人口が増えていることも紹介したとおりだ(「中央区は『35歳以上未婚女子』が集う街だった」)。すると、郊外に住んでいた20?40代の相当数が都心に引っ越しているのだと思うかもしれないが、実態は必ずしもそうではない。実は、郊外のほとんどの人々は今と同じ地域に住み続けるし、せいぜい同じ県内で移動する程度なのだ。
今回、「国勢調査」の2010年から2015年にかけての市区町村別転入転出人口の統計を使って、埼玉県を事例に分析してみたところ、主要な自治体のなかだけでも人口が増加しているところも減少しているところもあり、自治体相互の人口の奪い合いがわかりやすく浮き彫りになった。
(中略)
このように、所沢市や春日部市の人口減少は、東京23区との競争というよりも埼玉県内の競争に負けていることが要因であるとわかる。
その理由を考えてみると、1つに副都心線が東武東上線、西武池袋線に乗り入れた影響がありそうだ。これで池袋だけでなく、新宿、渋谷、さらには横浜までがつながることになった。であれば、東上線の川越駅始発に乗ったほうがよい。池袋線でも、所沢より遠い駅から乗ったほうが、座って通勤できるのである。
春日部市も同様だ。春日部市から転出超過している宮代町、幸手市、杉戸町、白岡市は、JRを使えば上野まで45?50分ほどであり、池袋、新宿、渋谷などにもJR湘南新宿ラインを使って1本で行けるからだ。新宿までは50分ほど。
春日部からだと上野、東京までは1時間程度だが、新宿、渋谷となると1時間10分ほどかかる。となると、都心にも副都心にも行きやすいJR沿線に引っ越す人が増えるのは当然だ。交通網の整備によって、都心から距離的に遠い地域が時間的に近づいてしまったために、春日部は所沢同様、転出者が多い地域になってしまったのである。
東京都でも、立川市、多摩市の若者世代の人口が減っているが、これも立川駅や多摩センター駅などでは始発に乗れないことが影響しているかもしれない。
飲食店を開くなら、所沢よりも川越がいい
また、所沢は、会社に通勤するサラリーマンだけではなく、飲食店などを経営する自営業者にも選ばれていない面がありそうだ。人口が減れば商売がしにくいから当然だ。結果、商売をする人の人口も流出するという悪循環があるのではないか。
実際、こんな話を聞いた。私が川越市に取材に行ったとき、同市内で活動する知人が焼き鳥屋に連れて行ってくれた。その店がとっても美味しかった。銀座や神楽坂など都心のグルメな街でも十分有名店になれるほどの味だった。
店主は、東京で修業して自分の店を出すために埼玉に戻ってきたのだという。店主の出身は所沢市だ。だから所沢市内で店の物件を探した。だが気に入ったものがなく、結局、川越に店を出したというのだ。川越なら古い商店が残っており、そこをリノベーションすれば、それこそ神楽坂の店のような雰囲気がつくれる。観光客も多い。
所沢にも古い商店が昔はあったが、ほとんどがタワーマンションなどに建て替わってしまった。美味しい店を出したくなるような物件があまり残っていないようなのだ。
このように所沢市は、都心に勤めるサラリーマンにとっては通勤しにくく、子育て世代にとっては子育てしにくく、シニアには老後を楽しく過ごしにくく、自営業者にとっては商売しにくい街として認識されてしまった観がある。
ただし所沢にも少しこれから盛り返そうという機運は出てきたようだ。かつては料亭街だった地域に、「盃(さかずき)横丁」という飲み屋街があったが、これを最近再び元気にしようという動きが出てきたのだ。看板、照明などもきれいにして、店も新しい店が入ってきた。私が所沢の知り合いに連れて行ってもらった店は、京都の先斗町で修業した板前さんの店だった。その他にも若い女性が何人かでワインを飲む店もあった。
こういう夜の楽しさがなければこれからの郊外は発展できないだろうと私は考えている。
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