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芸能裏ねたジャーナル

87小説吉田学校読者:2006/08/14(月) 22:55:11
ただし、この演劇から派生した「ヨコハマメリー」は最低の映画であります。人生も語らず、何もせず、淡々と日常を映すだけ。そこには娼婦になぜなったかなどの洞察も何もなかったのです。
取材を重ねて脚本を書かせた五大路子は、それとは違う。心意気が違う。
これがフィクションとノンフィクションの違いで、ノンフィクションは、主人公に入り込まなければ(つまり、取材を徹底的に重ねなければ)、非常に底が浅くなるのであります。
フィクションは、取材の限界点で取材から推測される想像を加えれば、そこに深みが出るのであります。

メリーさんの生、今年も伝える 一人芝居「横浜ローザ」
http://www.asahi.com/culture/update/0811/015.html

 女優の五大路子さん(53)が演じる一人芝居「横浜ローザ」が今年も終戦記念日に合わせ、12〜15日に横浜市内で開かれる。この芝居のモデルとなったのは「ハマのメリーさん」。戦後、横浜の街に娼婦(しょうふ)として立ち続け、昨年84歳で亡くなった。没後1年の追悼公演になり、五大さんは「彼女の命の光を伝えていきたい」と話す。 芝居は、雑居ビルエレベーターホールの場面から始まる。その廊下で寝起きする老女「ローザ」は80歳を過ぎても厚化粧で街角に立つ。「パンパン」と呼ばれた進駐軍相手の娼婦として始まった戦後の人生を独白していく――。
 実際のメリーさんも白い歌舞伎のような厚化粧に白いドレス姿で、70歳過ぎまで横浜・伊勢佐木町かいわいの街頭に立った。晩年、ビル内のパイプいすを寝床代わりにしていたという。本人は過去を多く語らなかったが、戦後の横浜にいた外国人相手の娼婦の一人だったと言われている。
 五大さんが初めてメリーさんを見たのは91年。異様な外観に驚いたが、「凜(りん)とした目で誇りを感じた」という。「彼女の人生を知りたい」と知人を訪ね歩き始めた。
 メリーさんが通った化粧品店では、昔は最高級品を買っていたが晩年は1瓶500円の白粉を使っていたこと。定住先が無く、なじみのクリーニング店にドレスを預けて着替えていたこと……。
 「時代の苦しみを受けながら、メリーさんはいつもほほえみを絶やさなかったそうです。人間ってすごいと思わされた」と五大さん。
 数年がかりの取材記録を脚本家の杉山義法さん(故人)に送った。杉山さんは「日本の戦後史として彼女の人生を書こう」と言い、「横浜ローザ」が生まれた。
 初演の前年になる95年には、本人にも会った。「あなたの芝居をやります」と伝えると、「そう」と、ただ一言上品な笑顔で答えた。
 メリーさんが、舞台を見ないまま亡くなったのは昨年1月のことだった。


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