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芸能裏ねたジャーナル

777小説吉田学校読者:2010/02/13(土) 09:04:57
司会は一歩引くもの。これを体現して、かつ、自分も名を遺した昭和の芸能史に燦然と輝いた星が消えます。
歌謡だけでなく、演芸を語らせてもぴか一。ああ、この人は芸能が好きなんだなと思いましたが、本当に惜しむらくは「玉置文庫」とまで称された私家版テープの無断放送問題でありました。本人も無念であったことでしょう。合掌。

名司会の玉置宏さん 脳幹出血で死去
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/02/13/0002708924.shtml

 「1週間のごぶさたでした」の名せりふで知られる司会者の玉置宏さん(本名・玉置宏行)が11日午前10時33分、脳幹出血のため死去したことが12日、分かった。76歳。4日午後に体調不良を訴え、神奈川県内の病院に入院、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は近親者で済ませた。後日お別れの会を開く。
 玉置さんは川崎市の出身。明治大学卒業後、アナウンサーを経て、歌手の故三橋美智也さんの専属司会に。1958年から19年間、TBS系の歌謡番組「ロッテ歌のアルバム」で司会を担当した。流麗な語り口と、歌手の特徴をつかんだ紹介で歌番組司会の第一人者として活躍、歌手にとって玉置さんの司会に送り出されることは一流の証しとなった。
 歌手・三田明(62)は「芸に対してすごくうるさかった。若い衆には基礎から芸を教えてくれた」と振り返る。しかし一歩仕事を離れると大好きな酒に顔を緩ませ、若手を食事に連れ出した。面倒見の良い性格に、後輩は「オヤジ」と玉置さんを慕った。
 晩年は、好きな落語の仕事を中心に活動。02年には大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」の館長に就任し若手育成に努めた。玉置さんの「演芸は明るいもの」という遺志をくみ、12日も通常通りの公演が行われた。


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