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芸能裏ねたジャーナル

568小説吉田学校読者:2009/02/23(月) 20:58:08
枝雀死して10年。そして十年一昔。いまやyoutubeやニコニコ動画で高座が見れちゃう時代なのだ。枝雀の「時うどん」(また、うどんだw)と談志の「饅頭こわい」が、脳天殴られるような衝撃がある。
それにしても、この話、いいなあ。緊張したら緩和、緩和したら緊張。

【枝雀と私】森末慎二さん 緊張と緩和、そして金メダル
http://www.asahi.com/kansai/mini-rensai/OSK200902120081.html
 ロサンゼルス五輪から25年、今は趣味で落語の高座にも上がっています。そもそも落語との出あいは枝雀師匠でした。大学を卒業したころ、友人の家で初めて聴いた「鷺(さぎ)とり」にはまったんです。当時、東京・お茶の水にあった勤務先の銀行の仕事が終わると、渋谷に出かけてはレコード店で師匠の落語のテープを探し、手当たり次第、聴きまくりました。
 体操は高校から本格的に始めましたが、一番の不安は、寝られないことなんですね。いくら力があっても、2、3時間しか寝られなかったら絶対につぶれます。自分にとってラジカセから流れてくる師匠の落語が「睡眠薬」でした。音楽では頭から体操が抜けなかったけれど、師匠の落語を聴くと、その世界にひきこまれてプレッシャーがふっと消えた。海外の大会にも必ず持っていきました。ロス五輪の時は極度の緊張で原因不明の熱が出て、何も食べられなくなったけれど、ほっとさせてくれたのはやっぱり師匠の落語でした。それで取れた金メダルでした。
 生で初めて師匠の高座を見たのは、87年の東京・歌舞伎座での3日間連続独演会です。2階席から姿を見ただけで、涙が出ました。それから、「枝雀寄席」というテレビ番組にゲスト出演することができて、師匠に五輪の参加メダルをお渡ししたんです。楽屋でごあいさつした時は普通だったんですが、対談で五輪の映像を見たら涙が止まらなくなって……。師匠から、「一生分の緊張をしたと思うので、これからは緩和してください」と言われました。
 自分でも落語をやるようになってから、師匠が何か僕に言いたいことがあるらしいと、人づてに聞いたんです。
 ある日、ふいに稽古(けいこ)を付けてもらおうと思い立ち、約束もせずに大阪のご自宅をたずねました。住所を手にやっとたどり着くと、家の中で師匠が歩き回っているのが見えたんですが、電話を鳴らしても出ては頂けませんでした。結局、4時間ぐらい隣の公園にいて、帰りました。実はそれから何日もしないうちに、自殺をはかったのだと後で知りました。なぜ、あの時、急に会いたくなったのか、それはわかりません。
 師匠の奥様から形見の羽織を頂きました。落語の高座に上がる時に着させていただいています。でも、マクラでその話をすると、涙ぐんでしまう。もう一度、師匠の落語を生で聴きたいです。


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