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芸能裏ねたジャーナル

509小説吉田学校読者:2007/12/08(土) 16:13:00
米朝口まかせその2。関東風に言いますと「桂あっかんべー」って、すごい名前。べかちゃんとか呼ばれるのは、人徳のなせる業。

米朝口まかせ 「べかこ」枝雀につける気やった
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/beichou/OSK200710160009.html

 南光はまだ高校生のころ、私が審査員をしていた素人名人会に漫談で出場しているんです。出演した時にうめだ花月のトイレで用を足していた私に学生服姿でいきなりサインを求めてきたんで、「君、場所を考えなさい」と怒ったというんですな。私は覚えてませんが、これが彼との最初の出会いやったらしい。そのころは、まだ噺家(はなしか)になる気は全然なかったそうですが、卒業を前に就職が決まらず、私の弟子の枝雀(当時は小米)のところに来たんです。
 実は、彼はそれまで三代目(桂春団治)の「寄合(よりあい)酒」と「代書」しか聴いたことがなかったらしい。で、枝雀の門をたたいた時も「おたくの落語聴いたことありません」と言うたっちゅうんですな。さすがに枝雀も「おかしいやろ」と言うたそうですが、「でも、おたくのラジオはずっと聴いてます。とても気が合いそうですから」と粘って、京都での私の一門の勉強会について来ることになった。枝雀は喫茶店のテーブルにこぼした水で地図を書いて場所を教えたんやそうです。正式な入門は昭和45(1970)年、枝雀の最初の弟子です。
 入門後も、枝雀のことを「師匠」とは呼んでいなかった。「僕たちは一緒にやっていこう。兄さんと呼びなさい」と言われたんやそうですが。私は「それではおかしいやろ」と、枝雀を叱(しか)りました。そしたら、私の前でだけ「師匠」と呼ぶことにしたらしい。落語会について行っても、出番が終わった枝雀から「楽屋におっても迷惑かけるし、そのへんでうろうろしていなさい、自由に」。こづかいをもらって、ジャズ喫茶なんかに行ってたそうです。
 南光になる前の名前はべかこ、私がつけたんです。古い名前で、復活させたかった。実は昔、私のところへ入門してきた枝雀につけようとしたんですが、「人間の名前やない」と嫌がったんです。けど、自分の弟子には喜んでつけよった。もとは漢字の米歌子でしたが、ひらがなに変えてかわいらしくなった。「べかちゃん」とみんなに呼ばれてね。とにかく、入門当時から「なんやおもろいで、べかこは」という印象を与えていましたな。


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