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芸能裏ねたジャーナル
508
:
小説吉田学校読者
:2007/12/08(土) 16:10:14
かしまし娘いなければ、当然、モーニング娘。とか、エレファント・カシマシとかも出てこないわけだ。どこかで誰かが影響受けている。ここに放送芸能の面白さがあるのだ。ベリー・グー・ベリー・グー♪
米朝口まかせ 「かしまし娘」輝いて見えてたわ
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/beichou/OSK200712040008.html
「かしまし娘」の3人は皆、元気ですなぁ。正司歌江、照枝、花江の3姉妹、今はそれぞれに活躍していますが、かつては一世を風靡(ふうび)した漫才トリオでした。
上の2人は北海道、花江さんは秋田の生まれだそうです。父親は尺八を吹き、母親は追分を歌う巡業一家で、幼いころから全国各地を旅しながら暮らしていたとか。先日、次女の照枝さんからいろんな話を聞きました。ちなみに、彼女も3歳の時から舞台に上がっていたそうです。
初めは姉の歌江さんとコンビを組んで、「天才少女漫才」として大阪に出てきて、1941(昭和16)年に新興演芸部の所属で活動を始めました。玉松一郎とのコンビで大活躍していた女性漫才師、ミスワカナの姿も間近で見ていました。やがて今度は妹の花江さんと2人で組むようになり、大阪で戦後最初に復活した寄席「戎橋松竹」などに出ました。でも、なかなかウケず…… 出番が終わるのを待っていたかのように客が入ってくるように思えてしまう。それで夢路いとし・喜味こいしさんの家までネタを教えてもらいに行ったこともあったとか。
空き時間にはお囃子(はやし)の手伝いもしてました。あの時分は若手の漫才師も出囃子の鳴り物ぐらいは打ってたんです。やれなんだら、芸人として恥ずかしかったんですな。
3姉妹でかしまし娘としてデビューするのは、昭和31年のことです。歌江さんが三味線、照枝さんと花江さんがギターを持つ華やかな漫才でした。3人になった途端に売れ出した。字面は最初「カシマシ娘」でしたが、北野劇場に出演した時、看板書きが「かしまし娘」と間違えたんです。でも「優しくて、ええやないか」と。それで「かしまし娘」になったそうです。衣装を決める時は舞台背景との兼ね合いをきっちり考えておく。出番前には照明係に「ええ具合に照らしてな」と挨拶(あいさつ)を怠らない。なるほど、そう言うと舞台姿はひときわ輝いて見えてましたな。
ところで、照枝さんは私の落語のテープをたくさん持ってくれてて、寝る前によく聴くそうです。「頭の中がスッとして、寝やすい」やて。ほめ言葉なんかなぁ。
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