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芸能裏ねたジャーナル

402小説吉田学校読者:2007/05/03(木) 20:16:55
黒田軍団全盛期は「大阪は読売が一番おもろい」でしたが、今は朝日新聞大阪文化部が冴えてますねえ。そんな気がします。
いとしこいしの凄さは、枕がないのにすーっと導入できることです。

米朝よもやま噺 いとこいの漫才 飽きなんだ
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/beichou/OSK200705010003.html

 漫才の人との付き合いも古いですが、特に長いのが夢路いとし・喜味こいしのお二人です。お兄さんのいとしさんと私は同い年でしたんや。あちらは2003年に亡くなりましたが、弟のこいしさんはまだまだお元気ですな。
 最初に会ったのは、戦後すぐのMZ(漫才)研進会でした。漫才作家の秋田実さんの指導で、9組くらいの若手コンビが集まった会です。同じ若手ということで六代目(笑福亭松鶴)が話を付けて、漫才の舞台に落語も出させてもらうことになったんです。会場は小学校や町内の集会所が多くてね、私らビクビクしてましたんや。そういう場所では漫才なら受けるやろうけど、落語はあんまり受けんさかいね。
 聞いた話ですが、大阪・ミナミの精華小学校で開いた時、校舎の窓から通りを眺めていると、学校めがけて大勢人がやって来た。「我々の演芸を聴きに、仰山(ぎょうさん)入ってくるで」と言うてたけど、一向に上がって来えへん。「なんでやろ、おかしいな。見に行こう」と降りてみたら、校庭にリングが組んであって、ボクシングの試合をやってるねん。皆、それ見に来てたんや。結局、演芸のお客は3、4人だけやったらしい。
 研進会には、ほかに秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろしなんかがおったけど、中でもいとし・こいしは新しいと思うたな。ちょっと飛び抜けたセンスがありましたよ。それに、インテリというイメージがあった。一つには下ネタがほとんどない。これは大きいこっちゃと思うわ。下ネタは、やれば簡単に受けるんやろうけど、いとこいはあえてせなんだ。秋田さんからも「やめとけよ」と言われてたそうな。
 それから言葉遣いにも気をつけてたな。「僕」「君」で通してたからね。今の若手は「お前」が多くなった。一つの効果として言うんやったら、それでも良いけどね。
 落語家は噺(はなし)の世界に入ってしまうと、江戸時代であれ、明治時代であれ、その時代の人物が出てくるわけです。ところが漫才は、常に己が出てくる。そこが難しいところやな。いとこいの漫才は話の世界に入って行けて、何遍聴いても飽きなんだ。


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