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芸能裏ねたジャーナル

393小説吉田学校読者:2007/03/27(火) 22:25:40
(続き)
西条昇のコメントに尽きる。

植木等さん死去:時代表現した「無責任男」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070328k0000m040081000c.html

 「お呼びでない? こりゃまた失礼しました」「わかっちゃいるけど、やめられない」。27日、関係者に惜しまれながら亡くなった植木等さん。高度経済成長下の管理社会でのサラリーマンのしたたかな生き方を歌やギャグで見事に表現。熟年になって、別の味わい深い顔も見せた幅広い人生だった。
 エンターテインメントの主役がテレビへ移行する時、ジャズマン集団「ハナ肇とクレージーキャッツ」は、新しいメディア・テレビに向かう所属の渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)の戦略と共に「テレビタレント」に衣替え。時はまさにサラリーマンが勃興する高度成長期。「クレイジーキャッツ」は、小さな組織としてテレビで大暴れ。大衆に支持され、映画やショーにも進出した。
 なかでも、歌や演技で中心となるフロントマンの植木さんは、当時放送作家だった故青島幸男さんが設定した「組織は好きではない、でも、組織がなければ生きられない。できれば適当に生きていきたい」というサラリーマン像を、歌や演技で体現、絶大な支持を得た。
 東洋大学予科に入った植木さんは北海道で終戦を迎えた。「10月になっても、帰っていいという通知が来なくて。『われわれ文科系は必要ないと国がみなしている』といううわさが立ちました。あとでデタラメと分かったんですけど」。
 結局、世の中で当てにできるものはない。こんな体験が後の「無責任男」の圧倒的なパワーにつながったのか。
 日本の高度成長と軌を一にするように、クレージーキャッツの顔として人気を上昇させていった植木さん。だが、過労のため肝炎で倒れたことがきっかけで、転機が訪れる。「僕自身、無責任男シリーズに疲れていて。入院して離れることができて、ほっとした面もありました」という。
 クレージーキャッツ全員そろっての舞台は79年が最後に。その後は舞台・テレビドラマなどで渋い役も演じ始め、芸の幅広さを示した。
 実は酒もたばこもたしなまない生真面目な人間。実像と虚像の落差を楽しんでいたのかもしれない。
 クレージーキャッツのメンバーも植木さんの入院先をたびたび訪れていた。桜井センリさんは3月12日、谷啓さんは17日の面会が最後の別れとなった。亡くなる2日前の25日には犬塚弘さんが病室を訪れていた。植木さんの所属プロダクションによると、メンバーはみんな「現在コメントを出せるような状態ではない」という。
 ▽お笑い評論家・西条昇さんの話 植木さんが「無責任シリーズ」で演じた平均(たいら・ひとし)は、会社からクビだと言われても道を踊り歩き、上司には「堅いこと抜きで行きましょう」と、普通のサラリーマンではできないことを演じてくれた。日本の喜劇人は、たとえば渥美清さんのように「涙あり笑いあり」という人が多いが、植木さんはドライでモダンで決して下品にならない笑いを見せてくれた。
 ▽歌手の奥村チヨさんの話 同じ事務所だったので、10代の終わりごろテレビでいつもご一緒してました。植木さんは、テレビで見る通りの自然体の方で、こんなに明るく楽しく仕事ができる人がいるのかと、驚き、あこがれました。「チヨ、僕らは夢を売る仕事だよ。夢が売れなくなったらおしまいだ」といつも言っておられ、私は今もその言葉に従って努力するようにしてます。芸能人というより人間味と愛情あふれる人生の先輩という方でした。


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