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芸能裏ねたジャーナル
374
:
小説吉田学校読者
:2007/02/28(水) 07:07:56
国本武春か、覚えておこう。永六輔の芸談はハズレがあるが、小沢昭一の芸談はハズレがない。少なくとも私にとっては。私のような信奉者を「小沢チルドレン」という。
見てよ!聴いてよ!浪花節/17止 時代を読む
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/yukan/20/news/20070227ddf001070010000c.html
「私のための芸能野史」(ちくま文庫)で小沢昭一(77)は書いている。「『笑』は常に新しく現代的なものである。笑わせる作業を続け、それが成功する限り、演者は必然的に現代に生きるのである」
「古い噺(はなし)」なのに時代に合わせた笑いを追求することで最近はブームさえ起こしている落語に対し、浪花節では笑わせる芸は「けれん」と呼ばれ、主流にはならなかった。
芸能の収集と記録のため、小沢が全国各地を巡っていたころ、ある山間部の集落には一度も海を見たことがない人がいた。今では、テレビをつければ、行ったこともない外国の町の様子が映し出される。
「いろんなものを見て、人々の感性のレベルは上がり、鑑賞眼がついた。それに演じ手も合わせないといけない。笑いは感性のバロメーターで、時代に寄り添っていないと、笑いは起こらない。もちろん、全部笑いだけじゃなく、ほろっとさせるものも入れていく」
小沢が国本武春(46)を評価する最大の理由は、客のつかみ方にある。「待ってました」などの掛け声練習で笑いをとりながら、徐々に引き締めて、物語の中に引き込んでいく。ひとりの天才によって芸能は変貌(へんぼう)を遂げてきた。小沢は武春を、義太夫における竹本義太夫、新内における鶴賀新内に位置付ける。「武春という芸能のジャンルができるかもしれない」。小沢は真顔だ。
浪花節中興の祖、桃中軒雲(とうちゅうけんくも)右衛(え)門(もん)が修業先の九州から東京に戻り、本郷座を連日の大入り満員にしたのが明治40年。以来、100年の盛衰を経て今がある。
「世の中、一朝一夕では変わらない。武春さんの登場で、10年先、20年先がどうなるか楽しみ。それを見届けることはできないけど、そんな気配を感じるだけでも、うれしいんですよ」
浪花節の将来は……とここまで書いて、ちょうど時間となりました。
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