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芸能裏ねたジャーナル

373小説吉田学校読者:2007/02/27(火) 07:30:19
>>372
談志、円楽、志ん朝がそろって落語協会脱退する寸前までいったこともあるんですね。一抜けしたのが談志、あんたはサラブレッドだからということで参加を拒まれたのが志ん朝でしたっけ。
志ん朝と談志、談志と円楽、志ん朝と円楽のライバルというかエース同士の相互評価は、私、ものすごい興味があります。

浪花節であれ浪曲であれ落語であれ、面白ければ何でもありなんじゃないか。
芸の手法は、手法に洗練を求めるとおかしくなるが、その点、小沢さんは手法ではなく、芸そのものに探究心がある模様。これを小沢手法という。

なにはともあれ、このインタビューを読んで、小沢昭一健在なりの感を深くした。なお、この節の冒頭の文章は、私の芸論の出発点、泉鏡花の「ロマンティズムと自然主義」のパスティーシュです。明日も貼るよ。

見てよ!聴いてよ!浪花節/16 芸の探索
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/yukan/20/

 その人はコーヒーショップの一番奥の席でたばこをくゆらせていた。小沢昭一、77歳。劇団「しゃぼん玉座」の主宰者にして、芸の探索者でもある。
 昭和ひとけた生まれの例に漏れず、ラジオから流れてくる広沢虎造、玉川勝太郎らを聴いて育った。「風呂に入ると、出てくるのが浪花節。うなっていると、いい気分になる」と言って、「利根の川風、袂(たもと)に入れて、月に棹(さお)差す、高瀬舟……」で始まる勝太郎の十八番「天保水滸伝(すいこでん)」を口ずさむ。
 旧制麻布中学時代、落語の寄席通いが縁で、正岡容(まさおかいるる)に弟子入りする。正岡は永井荷風や岡本綺堂らの影響を受け、19歳で発表した小説が芥川龍之介に絶賛されたのを機に文筆活動に入り、寄席随筆を中心に多岐にわたる作品を残した。落語家の桂米朝は小沢の兄弟子になる。
 「日本浪曲史」の著者でもある正岡は酔うと、浪花節のレコードをかけて弟子たちに聴かせたり、自分でうなったりもした。「『いいだろう、いいだろう』ってね。先生は浪花節を書いていたこともあって、文壇からは三文文士扱いされていたけど、誇りでした」
 小沢は俳優を続けながら、70年代から芸能の原点を探る旅に出る。浪花節、万歳、猿回し、女相撲、足芸師、ストリップ……。学術研究の対象から外れた芸能の出自、役割などを丹念に拾い上げ、「日本の放浪芸」「放浪芸雑録」「私のための芸能野史」などにまとめた。
 「僕らみんなそうだけど、芸人は伝統を守るのと、今のお客さんにどう応えて支持されていくかの、二刀流でいかないとダメ。伝統や歴史を眺めながら、今の、未来の仕事の仕方をそれぞれが考えないといけない」
 テレビでは、漫才やピン芸人がもてはやされ、浪花節などの語り芸が入り込む余地はない。「大事なのは時代感覚であり、センス。彼はちゃんと時代を見ているし、浪花節を動かすという予感がする」と言って小沢は国本武春(46)の名前を挙げる。=敬称略・つづく


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