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芸能裏ねたジャーナル

335小説吉田学校読者:2007/01/19(金) 20:51:44
秋葉原→上野。
1番 どこかにオタクの香りを乗せて(山手線)
2番 検問所に揺られて着いた遠いあの夜を思い出す(大宮発宇都宮線)
3番 ホームの時計を見つめていたらダイヤに7分遅れてた(常磐線各停)

浜通り出身の私にとって、上野は、本当に心の駅ですけど、もう私の世代だと、上野駅は、どちらかというと石川さゆりのイメージであります。それと結城昌治の某小説。

「あゝ上野駅」大ヒット井沢八郎さん死去
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070119-144305.html

 「あゝ上野駅」などのヒット曲で知られる演歌歌手井沢八郎さん(いざわ・はちろう、本名工藤金一=くどう・きんいち)が17日午後11時18分、食道がんのため、東京都内の病院で死去した。69歳。青森県出身。集団就職者をテーマにした「あゝ上野駅」の爆発的なヒットで一躍人気歌手の仲間入りを果たし、「八ちゃん」と呼ばれ愛された。亡くなった日は、くしくも長女の女優工藤夕貴の36歳の誕生日だった。
 人懐っこい笑顔と、伸びやかな歌声で知られた「八ちゃん」が約1年3カ月の闘病の末に逝った。
 夕貴はこの日、悲しみをこらえて公式ホームページに闘病経緯などを記した。井沢さんの食道がんが見つかったのは05年9月。病気をきっかけに夕貴は「本当に久しぶりに父と再会した」と言う。翌月に手術。無事退院したが、昨年5月にリンパ節へのがん転移が発覚。放射線治療や免疫療法を行ったが、病状が悪化したために、11月に再入院した。
 今月17日朝。病院へ見舞いに行った夕貴は、こん睡状態の井沢さんに話しかけた。「パパに会って誕生日祝ってもらえるなんて何十年ぶりだろうね。こうしてパパに会えることが私にとって最高のプレゼントだね」。病床の井沢さんが「おめでとう」と2回繰り返したのが、父から娘への最後の言葉になった。
 井沢さんは61年に上京。歌手になりたい一心で、親に内証で米を1俵売って交通費を工面した。作曲家大沢浄二さんに弟子入りし、63年に「男船」でデビュー。翌年発売したのが、集団就職者をテーマに、地方出身者の哀愁を歌った「あゝ上野駅」だった。上野駅は東北地方などへのターミナル駅で、「金の卵」と呼ばれた若者の愛唱歌として爆発的な大ヒット。ほかにも「北海の満月」「男傘」などの、伸びやかで力強い歌声が多くのファンを魅了した。
 一方、本業以外でも世間を何度も騒がせた。交通違反の不出頭で逮捕(83年)、16歳少女との淫行(85年)、隠し子発覚(87年)などが重なって89年に離婚。93年に元内弟子の美代子夫人(45)との再婚では25歳の年齢差が話題を呼んだ。
 「もう生の歌声を聞くことはできませんが、歌手としての井沢八郎は生き続けています。今、父には感謝の言葉しか出てきません」。夕貴の言葉は、昭和に響いた歌声を悼む多くのファンの気持ちと通じている。


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